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1178年
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治承2年
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12月24日
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源頼政、
従三位(じゅさんみ)となる。
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源頼政
清和源氏系図
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源頼政は
保元の乱では後白河天皇方に、
平治の乱では
途中で源義朝を見限って
平清盛の側につき活躍した。
源満仲の長男・頼光の血を引く
摂津源氏であり、
満仲の三男・頼信の流れからは
源頼朝が出た。
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頼政は
この時75歳の老齢であったが、
保元・平治の乱以降、
昇進も進まず
正四位のままだった。
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一門の栄華のため
三位になることを望んだが
果たせなかったので
次の歌を詠んだ:
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「のぼるべき
たよりなき身は
木の下に
椎(しゐ)をひろひて
世をわたるかな」
(『平家物語』巻第四「鵺(ぬえ)」)
※「椎」と「四位」を掛けている。
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これを知った平清盛は
頼政を従三位に推挙し、
この日の昇進となったのである。
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右大臣藤原(九条)兼実は、
彼の日記『玉葉』同日条に
こう記している:
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藤原(九条)兼実
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「今夜、
頼政が三位に叙せられた。
これが
今夜の
第一之(の)珍事である。
これは
入道相国
(にゅうどうしょうこく=平清盛)の
推薦によるということだ。
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平清盛
その推薦状は、
『源氏・平氏は
国の堅め(固め)です。
ところが
平氏は
朝恩あまねく一族に行き渡り、
その威勢は
ほとんど
四海に満ちています。
これは
平氏が
勲功を立てたからでありますが、
源氏の勇士は、
多く逆賊に味方したため
すっかり
刑罰を受けてしまいました。
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ところが
頼政ひとりは
その性正直で、
勇名も
天下に聞こえていますのに、
まだ三位にもなれません。
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年齢は七十を超していて
気の毒の至りです。
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まして
近日
重病を患っている
ということです。
生前
特に
昇叙の御恩を
授けてください』
というのである。
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この一言で
三位に叙せられたという。
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入道推薦状は
まことに賢明な
取り計らいであるが、
驚かない者はないだろう。」
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