1170(嘉応2)年
1月6日
右大臣藤原(九条)兼実、
その日記『玉葉』に
先の
藤原成親の還任について
こう記す:
「世
以(もっ)て
耳目(じもく)を驚(おどろか)す。
未曾有(みぞう)なり」
院(後白河法皇)が
延暦寺の圧力をはねのけて、
寵臣・藤原成親の流罪を解き、
官位を復し、
検非違使別当にまでしたことに
世間
(ここでは殿上人の世界を指す)が
驚愕していることを
記している。
1170(嘉応2)年
1月6日
右大臣藤原(九条)兼実、
その日記『玉葉』に
先の
藤原成親の還任について
こう記す:
「世
以(もっ)て
耳目(じもく)を驚(おどろか)す。
未曾有(みぞう)なり」
院(後白河法皇)が
延暦寺の圧力をはねのけて、
寵臣・藤原成親の流罪を解き、
官位を復し、
検非違使別当にまでしたことに
世間
(ここでは殿上人の世界を指す)が
驚愕していることを
記している。