石になった星神を訪ねて④ 手子后神社 | tonyのブログ

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石井神社に伝わる『倭文神健葉槌命縁記』によると、

「また那珂の大河を超え二つ目は石塚圷村手粉裂明神に至る。」

石塚圷村手粉裂明神手子后神社のようです。2つ目の石の落ちた所と伝えられている場所は数か所あるようで、手子后神社(城里町)もその一つといわれています。

 

 

手子后神社(てごさきじんじゃ)
茨城県東茨城郡城里町上圷199
 
御祭神は埴安姫命(土の神)のようなので、石とは関連がないのかも知れません。

元は「手子木崎神社」だったようですが、元禄九年(1696)に水戸藩主徳川光圀公により「手子后神社」と改称したようです。
 

 
 
こちらにもこの注連縄がありました。
 
長い参道
 
 
 
 
 
拝殿
 
 
 
本殿
 
 
 
 
次は、同じ城里町の石塚地区の風隼神社へ。