石井神社に伝わる『倭文神健葉槌命縁記』によると、
「また那珂の大河を超え二つ目は石塚圷村手粉裂明神に至る。」
石塚圷村手粉裂明神が手子后神社のようです。2つ目の石の落ちた所と伝えられている場所は数か所あるようで、手子后神社(城里町)もその一つといわれています。
手子后神社(てごさきじんじゃ)
茨城県東茨城郡城里町上圷199
御祭神は埴安姫命(土の神)のようなので、石とは関連がないのかも知れません。
元は「手子木崎神社」だったようですが、元禄九年(1696)に水戸藩主徳川光圀公により「手子后神社」と改称したようです。
次は、同じ城里町の石塚地区の風隼神社へ。