宗頭文化センターに着いたのは5月3日の22時30分くらいでしょうか。


さっそく荷物をうけとり、食事、風呂、出発準備をしました。


結構、時間がかかり、23時40分くらいにはなっていたでしょうか。


それでも、少しでも仮眠をとろうと2階に上がって寝るところを探しました。


満員でしばらく待ちました。係の方の誘導で、寝場所を確保、10分くらい横になっていましたが


周りのいびきがうるさくて寝れません。なんとか寝ようとしましたが寝れませんでした。



5月4日0時20分くらいに、宗頭文化センターを出発。


宗頭から藤井商店⇒三見駅⇒玉江駅の20kmはすべて歩きました。


足が痛いので走れません。


ただコースをロストしたくなったので、たえずランナーのあとを早歩きでついていきました。


付いていけそうもないと判断したら、つぎのランナーがくるのを待って、別のランナーについていきまhした。


真っ暗な闇夜に日本海の波の音が聞こえます。


この20kmは寒さにもやられました。


厚手の防寒具が必要ですね。



玉江駅までくると、ここからは140kmコースと同じです。あたりもあかるくなりはじめました。


玉江駅⇒浜崎緑地公園⇒虎ヶ崎までの10kmは、ゆっくりですが走りました。


虎ヶ崎のつばき館で食事です。


カレーを大盛にしてもらいました。





まだまだ元気です。


虎ヶ崎を出発し、金照苑⇒陶芸の村公園の10kmは歩きました。





陶芸の村公園のCPでPIPIさんにお会いしました。


PIPIさんはとても元気でした。


陶芸の村公園をでて、しばらくPIPIさんN田さんのあとをついていきましたが


萩往還道の入る手前くらいからどんどんはなれていって見えなくなってしまいました。


ここで223km、あと22km。








足は両足が痛いが、特に右足が痛い、右は裏も甲も痛い。


なんとか歩きつづけて、明木エイド到着。ここで226km。


ここから一升谷ののぼりが続きます。


一升谷の五合目くらいからでしょうか?


目がちかちかしはじめ、呼吸がしにくくなりました。


六合目、七合目と数えて昇るのですが、なかなかふえていきません。


このときから熱中症の症状が出始めていたのです。

 

道中何回も休憩をしながら歩きます。


青ゼッケン、緑ゼッケン、ピンクゼッケンの方々からエールをいただきます。


そのつど自分を奮い立たせます。




途中の東屋で水をかぶってたり、歌をうたったりして、気が遠くなるのを、防ぎます。


なんとか、佐々並エイドに到着。ここで236km。


ここで冷水をひしゃくで3杯かけてもらました。


佐々並からも歩き続けます。


両手には、杖代わりの老木。


歩き続けます。


板堂峠に到着。ここで244km。




やっとのことで萩往還道の出口です。




ここからはビクトリーロードです。







ここまで来れたことを皆さんに感謝しながらゴールへ向います。


完踏!


46時間40分17秒




(C)allsports.jp

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ゴールのあと、熱中症のため、家内の肩につかまって歩くのがやっとでした。


萩往還が終わって3週間くらいは、熱中症の後遺症や右足甲の疲労骨折などで


心身とも疲れ果てていました。


二度と萩は走らない


と思ってました。



こんなにぼろぼろにされた悔しさが日々大きくなっていきます。


そして、こう思いようになってきました。


来年は、元気ゴールしたいと。



長文、最後まで読んでいただきありがとうございました。