坪内祐三の「玉電松原物語」を読んだ! | とんとん・にっき

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坪内祐三の「玉電松原物語」(新潮社:2020年10月15日発行、2020年11月20日2刷)を読みました。

 

ユリイカ2020年5月号は、臨時増刊号として、2020年1月13日に、心不全のため急逝した坪内祐三を特集しています。

青土社 ||ユリイカ:ユリイカ2020年5月臨時増刊号 総特集=坪内祐三 (seidosha.co.jp)

 

 

“追悼読み”に捧ぐ手向けの花
坪内祐三はよく飲み、よく歩き、よく観て、なによりよく読んだ。雑誌を読み、小説を読み、評論を読み、ノンフィクションを読んだ。そして書いた。ひたすらに書いた。そこには徹底した自意識が敷かれていた。坪内祐三とはテキストと不即不離に結びついた行動の日々である。追悼文を読み、追悼の営為を問いつづけた坪内祐三の追悼特集。

 

目次を見ると、僕が名前を知った人だけでも、以下のような人が寄稿しています。

福田和也、佐伯一麦、西村賢太、戌井昭人、南伸坊、泉麻人、亀和田武、中沢新一、苅部直、等々。

 

坪内祐三には、一度もお会いしたことがありません。恥ずかしながら、坪内祐三の著作は、一冊も読んだことがなく、持ってもいません。もちろん、古くからその名前は知っていました。世田谷線沿線で育ち、現在も三軒茶屋にお住まいで、事務所もその周辺にあることは以前から知っていました。

 

僕も長年、三軒茶屋に住んでいて、世田谷線をよく利用していました。世田谷線松原駅周辺では、「生活クラブ赤堤館」へはよく行っていたので、周辺のことはよく知っていたし、角の増田屋では昼食にお蕎麦を食べたりもしました。

 

僕は、坪内祐三の代表作であろう「慶応三年生まれ 七人の旋毛曲り 漱石・外骨・熊楠・露伴・子規・紅葉・緑雨とその時代」を、近いうちに読むつもりでいました。しかし、お亡くなりになってしまいました。

 

急逝した評論家の「遺作」は、

私小説のごとき昭和文化論だった。

幼少期を過ごしたかつての世田谷では、チンチン電車が走り、牧場には牛が群れ、神社は奉納相撲で盛り上がる。そして駅前の商店街には、様々な人びとがいた。自らを育んだ街と文化を卓越した記憶力で再構築し、令和が喪ったものを鮮やかに甦らせる。昭和カルチャーの申し子たる著者の、集大成とも言うべきラストメッセージ。


 

目次
第一章 四谷軒牧場とブースカ
第二章 スーパー「オオゼキ」がリニューアルオープンした
第三章 サヨウナラ「遠藤書店」
第四章 松原書房、「安さん」、そして切手ブーム
第五章 「ももや」のブルート、米屋のカルロス、そしてヒッピーそうちゃん
第六章 落合博満は赤堤小学校のPTA会長だった
第七章 「布川電気」で買ったレコード、そして赤堤の家の生き物たち
第八章 和泉多摩川、京王多摩川、そして二子玉川
第九章 世田谷八幡の秋祭りの奉納相撲で学生横綱だった農大の長濱を見た
第十章 「ハマユウ」と「整美楽」が謎だった
     燃える牛と四十七の扉 吉田篤弘

 

 


 

坪内祐三:
(1958-2020)1958(昭和33)年5月8日東京都渋谷区生まれ、3歳から世田谷区育ち。早稲田大学第一文学部人文専修卒、同大学院英文科修士課程修了。1987(昭和62)年から1990(平成2)年まで「東京人」編集部員。1997(平成9)年、『ストリートワイズ』(晶文社)でデビュー。2001(平成13)年9月、『慶応三年生まれ 七人の旋毛曲り』(マガジンハウス)で講談社エッセイ賞を受賞。2020(令和2)年1月13日、心不全のため急逝。主な著書に『靖国』『古くさいぞ私は』『変死するアメリカ作家たち』『探訪記者 松崎天民』『昼夜日記』など。「小説新潮」に連載中だった『玉電松原物語』が遺作となった。