栗原康の「死してなお踊れ 一遍上人伝」を読んだ! | とんとん・にっき

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来るもの拒まず去る者追わず、
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栗原康の「死してなお踊れ 一遍上人伝」(河出書房新社:2017年1月30日初版発行、2018年4月30日2刷発行) を読みました。 

 

偶然にも、日曜美術館で「一遍聖絵の旅」という番組を観ることができました。だいたい栗原康なる人物がどんな人物なのか、テレビで話しているのを観て、おおよそ見当がつきました。なかなかのイケメンです。もちろん「一遍聖絵」なるものも観ることができて、栗原の著作の理解が深まりました。

 

本の帯には、以下のようにあります。

家も土地財産も、も奥さんも子どもも、

ぜんぶ捨てた一遍はなぜ踊り狂ったのか――

いま最高度に注目される思想家による絶後の評伝

 

瀬戸内寂聴氏

踊り狂うほど、民衆を熱狂させた、一遍上人の稀有な魅力を、瑞々しい栗原さんの新鮮な文体で描いた最高に魅力的な力作!

朝井リョウ氏

栗原康の言葉を通せば、教科書の中のあの人もこの人もまるで旧知の悪友のよう。一遍と踊りたい、朝まで、床が抜けるまで!

 

本書は鎌倉時代のお坊さん、一遍上人の評伝だと栗原は自ら言う。全体の流れや細部は、「一遍聖絵(一遍上人絵伝)」にほとんど従っています。じゃあ、一遍の思想はなんだったのかというと、ひとことでいえば「捨ててこそ」だ、という。

 

13世紀前半、一遍は伊予国の道後でうまれた。父は伊予の豪族、河野通広、一遍はその次男として生まれた。天台宗や浄土宗西山派に学んだ後、遊行を開始します。

 

一遍はいう。

念仏のこころがまえをおしえてくれときかれたので、こたえておこう。南無阿弥陀仏ということ以外に、とくにこころがまえんんてありはしない。念仏をする者は、ただひたすら念仏をつなえていればいいのである。もかし、空也上人があるひとに、念仏はどうとなえればいいんですかときかれて、こう答えたという。捨ててこそ。それ以外、なにもいわなかった。これ、まさに金言である。念仏をとなえる者は、知恵も愚痴もすて、善悪の境界もすて、ただ念仏をとなえていればいい。それが阿弥陀仏の本願にもっともかなっているのだ。

 

一遍41歳のとき、信濃国伴野荘で「踊念仏」を始めて踊ります。狂ったようにおどりはじめます。はげしく肩をゆすり、あたまをブンブンふって、手をひらひらと宙に舞わせている。おもいきり地をけりとばし、全力で飛び跳ねている。一遍たちは未知の領域にふみこんでいって。人間の限界の、さらに限界をこえて、ありえないうごきをみせはじめた。「一遍聖絵」を観ると、武士も庶民も女房も、ぴょんぴょんとびはね、恍惚とした表情を見せている。これが一遍たちの踊念仏の始まりです。

 

ああ、成仏だ。なむあみだぶつ。最後はしずかあなもんだ。享年51歳。一遍上人は亡くなった。

 

最後にもう一つ、一遍の遺戒。

俺が死んだ後のことを言っておく。葬儀はいらない。わが屍を野に捨て、獣にほどこすべし。

 

日曜美術館
「踊らばおどれ~一遍聖絵の旅~」
5月12日(日) 9:00AM(0H44M) NHKEテレ1東京