東京国立近代美術館で「熊谷守一 生きるよろこび」展を観た! | とんとん・にっき

とんとん・にっき

来るもの拒まず去る者追わず、
日々、駄文を重ねております。

「熊谷守一 生きるよろこび」チラシ

東京国立近代美術館 掲示板

「熊谷守一 生きるよろこび」案内板

東京国立近代美術館で「熊谷守一 生きるよろこび」を観てきました。観に行ったのは、1月5日のことでした。

過去、豊島区立熊谷守一美術館を初めて訪れ、熊谷守一を知る。
「ヤキバノカエリ」を観て、衝撃を受ける。
「豊島区立熊谷守一美術館」を観た!

熊谷守一と豊島区千早町には、まったく個人的な思い出があります。以下のような記事を書いたことがあります。嘘か誠か? 
板橋区立美術館で「池袋モンパルナス展」を観た!

熊谷守一 撮影:日本経済新聞社

展覧会の構成は、以下の通りです。(図録による)

1.闇の守一:1900-10年代
守一の謎①:<轢死>を回す

2.守一を探す守一:1920-50年代
守一の謎②:赤い線を引く
守一の謎③:海外作家に学ぶ
守一の謎④:たくさん作る

3.守一になった守一
守一の謎⑤:動く絵


左:若い日の熊谷守一 撮影年不詳
右:東京美術学校卒業記念(後列左端)1904年

1.闇の守一:1900-10年代
「自画像」1904(明治37)年、東京芸術大学


守一の謎①:<轢死>を回す
左:「蝋燭(ローソク)」1909(明治42)年、岐阜県美術館
右:「某夫人像」1918(大正7)年、豊島区立熊谷守一美術館


2.守一を探す守一:1920-50年代
左:「陽の死んだ日」1928(昭和3)年、大原美術館
右:「裸婦」1930-40(昭和5-15)年

「風景」1940-50(昭和15-25)年、ポーラ美術館


守一の謎②:赤い線を引く
左:「萬の像」1950(昭和25)年、岐阜県美術館寄託
右:「ヤキバノカエリ」1956(昭和31)年、岐阜県美術館


守一の謎③:海外作家に学ぶ
左:「後向裸婦」1950(昭和25)年、岐阜県美術館寄託
右:「少女」1963(昭和38)年


守一の謎④:たくさん作る
左:「海の図」1957(昭和32)年、愛知県美術館、木村定三コレクション
右:「土饅頭」1954(昭和29)年、愛知県美術館、木村定三コレクション


3.守一になった守一
「ハルシア菊」1954(昭和29)年
愛知県美術館、木村定三コレクション

守一の謎⑤:動く絵
左:「豆に蟻」1958(昭和33)年
右:「畳」1960(昭和35)年

左:「猫」1965(昭和40)年、愛知県美術館、木村定三コレクション
右:「あかんぼを」1965(昭和40)年


特別出品:長谷川利行「熊谷守一像」制作年不詳
公益財団法人 熊谷守一つけち記念館寄託


「没後40年 熊谷守一 生きるよろこび」
熊谷守一(くまがい・もりかず 1880‐1977)は、明るい色彩とはっきりしたかたちを特徴とする作風で広く知られます。特に、花や虫、鳥など身近な生きものを描く晩年の作品は、世代を超えて多くの人に愛されています。
その作品は一見ユーモラスで、何の苦もなく描かれたように思えます。しかし、70年以上に及ぶ制作活動をたどると、暗闇でのものの見え方を探ったり、同じ図柄を何度も使うための手順を編み出したりと、実にさまざまな探究を行っていたことがわかります。描かれた花や鳥が生き生きと見えるのも、色やかたちの高度な工夫があってのことです。穏やかな作品の背後には、科学者にも似た観察眼と、考え抜かれた制作手法とが隠されているのです。
東京で久々となるこの回顧展では、200点以上の作品に加え、スケッチや日記などもご紹介し、画家の創造の秘密に迫ります。
明治から昭和におよぶ97年の長い人生には、貧困や家族の死などさまざまなことがありました。しかし熊谷はひたすらに描き、95歳にしてなお「いつまでも生きていたい」と語りました。その驚くべき作品世界に、この冬、どうぞ触れてみて下さい。

「東京国立近代美術館」ホームページ

「熊谷守一 生きるよろこび」図録


朝日新聞:2017年12月12日