熊井啓監督の「忍ぶ川」を(再び)観た! | とんとん・にっき

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熊井啓監督の「忍ぶ川」を、TUTAYAで借りてDVDで観ました。ずいぶん前になりますが、映画も観ています。が、いつ頃、どこで観たのか、正確なところはわかりません。


三浦哲郎の原作は、昭和35年に第44回芥川賞を受賞しています。であるなら、たぶん父親が買っていた「文芸春秋」に受賞作が掲載され、それを読んだのが初めてだったと思います。ちなみに第43回は北杜夫の「夜と霧の隅で」で、第45回は「該当作品なし」でした。その後、文庫本で読んでいるので、どこかにあるはずと思い、本棚や押し入れの中を探したのですが、見つかりません。まあ、新しく買うとしても文庫本ですから、大した額ではありませんが…。


三浦哲郎:(1931-2010)

1931(昭和6)年、青森県八戸市生れ。日本芸術院会員。早稲田大学を中退し、郷里で中学教師になるが、1953年に再入学。仏文科卒。1955年「十五歳の周囲」で新潮同人雑誌賞、1961年「忍ぶ川」で芥川賞を受賞。主著に『拳銃と十五の短篇』(野間文芸賞)、『少年讃歌』(日本文学大賞)、『白夜を旅する人々』(大佛次郎賞)、『短篇集モザイクI みちづれ』(伊藤整文学賞)等。また短篇「じねんじょ」「みのむし」で川端康成文学賞を二度受賞。2010(平成22)年8月29日没。


上には、「早稲田大学を中退し、郷里で中学教師になるが」とありますが、ウィキペディアによると、「1950年に次兄失踪のため、休学して父の郷里の金田一村湯田(現在の二戸市)に帰郷」となっています。細部は忘れましたが、東北の知人と三浦哲郎の話になった時に、僕がたぶん三浦が八戸市に帰ったと言ったところ、いや違う二戸市に帰った、実家は二戸市にあった、という話が出たことを思い出しました。岩手と青森に跨って、八戸は青森、二戸は岩手、その他、一戸町、二戸市、三戸町、・・・九戸村、等々、たくさん同じような地名があります。


僕は「木場」も「洲崎」も、この本で知りました。「忍ぶ川」のモデルとなったのは、駒込の六義園近くの、懐石料理の「思い川」だそうですが、店主の体調不良のため閉店してしまいました。


「忍ぶ川」、熊井啓が吉永小百合で映画化することが決まったが、原作にある初夜の場面をめぐって、吉永側が抵抗し降板したという話、面白おかしく取り上げられています。それはそれとして、「忍ぶ川」は、栗原小巻の代表作となりました。「サユリスト」とか「コマキスト」とか、若者には話題騒然の時代でした。


家族だけのささやかな結婚式と、初めての夜、雪国では裸で寝るという哲郎、雪の降りしきる外は馬そりの鈴の音が聞こえ、それを毛布にくるまって見ているいつまでも二人。翌朝、新婚旅行に近くの温泉へ向かう二人、汽車のなかから志乃は「見える、みえる、あたしのうち」と子供のようにはしゃぎます。


ネットで「忍ぶ川」を探していると、「熊井啓への旅」①~⑨が見つかりました。下に載せておきます。


以下、「キネマ写真館 日本映画データベース」(一般社団法人 映画演劇文化協会) より


【解説】 

三浦哲郎の原作は、「新潮」昭和35(1960)年10月号に掲載され、同年、第44回芥川賞を受賞した。自身の結婚をモデルにした自伝的小説といわれる。発表当時から映画化をめぐっては各社が興味を示したが、いずれも実現せず、その後、昭和43(1968)年に日活で熊井啓が主演・吉永小百合で映画化することが決まった。しかし原作の重要なポイントである初夜の場面をめぐって、吉永側が抵抗し、降板。東京映画の椎野英之の仲立ちで俳優座が製作に加わり、“東宝創立40周年記念作品”として製作されることになった。黒田清巳のモノクロ撮影が美しい。

【物語】 

哲郎(加藤)と志乃(栗原)が知り合ったのは、哲郎の寮の卒業送別会が開かれた料亭“忍ぶ川”であった。志乃は店の看板娘だった。哲郎は彼女に惹かれて店に通った。ある夜、話が深川のことに及んだとき、志乃は自分の故郷も深川だが栃木に疎開してもうしばらく帰っていないと言う。哲郎は志乃を誘って深川に行った。ふたりは、哲郎が次兄(井川)と暮した木場を歩いた。それから志乃が生まれた洲崎に行った。志乃は母が営む廓の射的屋のことと父のことを哲郎に話した。


浅草を回ってふたりは帰宅したが、後日志乃は哲郎から自分の生い立ちを綴った手紙を受け取った。自分は6人兄弟の末っ子であるが、兄姉たちはいずれも不幸な末路をたどったことが書かれていた。自分の6歳の誕生日に、最初に次姉が自殺、続いて長兄が失踪し、それから上の姉・亜矢(山口)が自殺。深川の次兄は金を持ち逃げして行方をくらましたという。それ以来自分は誕生日を祝ったことがない、と。翌日、志乃から「来月の誕生日には私にお祝いさせてください」という返事が来た。


夏になり、志乃に本村(滝田)という婚約者がいることを友人から知らされた。志乃に問いただすと、料亭の女将(木村)の取り持ちで婚約はしたけれど、気は進まず、栃木の父も反対しているという。哲郎は志乃に、その人のことは破談にしてくれと言い、求婚した。志乃は頷き、ふたりは抱き合った。志乃の父の容態が急変した。志乃は、哲郎に「父に会ってくれ」と言付けをして帰郷した。哲郎は、志乃のあとを追った。志乃の家族は寺のお堂に住んでいた。志乃の父は、死の床で哲郎に娘のことを託して死に、一家は離散した。


大晦日、哲郎は志乃を連れ、夜行列車で故郷へ帰った。駅には哲郎の母(瀧花)が出迎え、体が不自由な父(永田)も雪かきをして待っていた。目の不自由な姉・香代(岩崎)も志乃を気に入ってくれた。内輪だけでの哲郎と志乃の結婚式が挙げられた。やがてふたりは初夜を迎え、愛し合う。馬ゾリにつけた鈴の音がした。ふたりは裸のまま毛布にくるまり部屋を抜け出て、雨戸から馬ゾリの通り過ぎるのをいつまでも見ていた。翌朝、新婚旅行に出掛けることになり、車中の人となったふたりを皆が祝福するのだった。


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熊井啓への旅

忍ぶ川①美しく純粋 愛の物語

忍ぶ川②映画づくり 情熱再び

忍ぶ川③吉永小百合が候補に

忍ぶ川④悲願の映画化暗礁に

忍ぶ川⑤構想中に緊急入院

忍ぶ川⑥喜びのクランクイン
忍ぶ川⑦初夜の撮影 悩み抜く
忍ぶ川⑧原作に劣らぬ味わい
忍ぶ川⑨執念が実り名作誕生


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「忍ぶ川」

文庫版

著者:三浦哲郎

発行日:1965年6月1日

発行所:新潮社

第44回(昭和35年度下半期) 芥川賞受賞

兄姉は自殺・失踪し、暗い血の流れにおののきながらも、強いてたくましく生き抜こうとする大学生の“私”が、小料理屋につとめる哀しい宿命の娘・志乃にめぐり遭い、いたましい過去をいたわりあって結ばれる純愛の譜『忍ぶ川』。読むたびに心の中を清冽な水が流れるような甘美な流露感をたたえた芥川賞受賞作である。他に続編ともいうべき『初夜』『帰郷』『團欒』など6編を収める。