リリアーナ・カバーニ監督の「愛の嵐」を(再び)観た! | とんとん・にっき

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リリアーナ・カバーニ監督の「愛の嵐」を(再び)観ました。「愛の嵐」はもう何度んも観ていますが、観ることになった直接のきっかけは、今年の4月に「中欧5カ国」を旅し、ウィーンに行ったことによります(ウィーンは2度目ですが)。


ツアーの第4日目、4月5日の夕食に「ホイリゲ(オーストリア風居酒屋?)」、ここは超有名店で、玄関に有名人の写真、ソフィア・ローレン、ローマ法王、クリントン元大統領、ゴルバチョフ元首相らの写真が飾ってある、「アルテア バッハーヘングル」で夕食を食べました。その帰りにバスの車窓から、「カール・マルクス・ホーフ」が見え、大慌てで写真を数枚撮ったことによります。


1920年代のウィーンは、深刻な住宅不足、その解決のために、大規模な集合住宅が建てられました。その代表的なものとして「赤の牙城」の異名をもつのが「カール・マルクス・ホーフ」です。全長1kmを超える長大な敷地の中に1382戸の住宅、さらにはオフィス、店舗、幼稚園、図書館、中庭などが設けられたさながら小さな都市のようです。ナチスの進軍に対する抵抗の拠点となったと言われています





以前、「千の天使がバスケットボールする」というブログがあり、ブログ初心者の僕は、それを愛読し、いろいろと勉強させていただきました。そのブログの主宰者・樹衣子さんが、2013年12月15日、小池真理子の「望みは何と訊かれたら」の読後感を書いていました。「愛の嵐」にふれたその冒頭部が、下に引用した箇所です。

http://konstanze466.jugem.jp/?eid=154


1957年、凍てつくような冬のウィーンの「オペラ・ホテル」。このホテルのナイト・ポーターとしてひっそりと身を隠すように暮らしていたマックス(ダーク・ボガード)の前に、二流のホテルには不似合いな上質の一組の夫婦が訪れた。若手の世界的指揮者アザートンと、その妻ルチアだった。決して出会ってはいけないふたり。第二次世界大戦時、マックスとゲットーの責任ある親衛隊員として権力をふるっていた彼によって、倒錯した性の愛玩物として生き延びたルチア。20年の歳月を経て、彼らは偶然にも再会してしまったのだが。。。

10代の少年愛を連想させるやせた美少女、指揮者の妻として上流階級にふさわしい教養と美貌をたたえる30代の女性。ふたりの「ルチア」を演じたシャーロット・ランプリングは、この1作で小娘だった私を完全に圧倒した。映画「愛の嵐」は、私の生涯のベスト10に入る忘れない映画である。しかも”忘れられない”映画としても。
かってゲットーで性的ななぐさみものとしてかろうじて命拾いをしてきた少女が、富と名誉と愛する夫と妻としてのオーラに満ちた威厳ある美しさと安息と、、、人生におけるすべての望みを手に入れたのに、ルチアのとった選択とその後の行動を、私は観念からも感性からも不可解さと謎を抱えてきた。けれども、今は衝撃的だったこの映画を、背筋が粟立つほどの感覚とともにわかる。


女性側から見た映画評、今読んでも素晴らしいものがあります。もちろん僕も、「愛の嵐」についてブログには以下のように書いたことがあります。やはり「カール・マルクス・ホーフ」についてもふれていて、画像を載せていました。さてリリアーナ・カバーニ監督の「愛の嵐」、樹衣子さんにならえば、僕にとっても「生涯のベスト10」に入る映画で、しかも”忘れられない”映画です。

リリアーナ・カバーニ監督の「愛の嵐」を観た!


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「愛の嵐」KINENOTE