東京藝術大学大学美術館で「平櫛田中コレクション展」を観た! | とんとん・にっき

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東京藝術大学大学美術館で「平櫛田中コレクション展」を観てきました。今回の展覧会は、木彫家・平櫛田中の作品と、彼が収集した近代彫刻コレクションが紹介されています。わざわざ観に行ったわけではなく、 「観音の里の祈りとくらし展Ⅱ-びわ湖・長浜のホトケたち-」 を観に行ったら、同時開催として「平櫛󠄁田中コレクション展」も開催していたというわけです。


小平市に「小平市平櫛田中彫刻美術館」があります。僕は一度だけ観に行ったことがあります。新宿から中央線に乗り換え、JR国分寺駅で西武多摩湖線に乗り換え、一橋学園駅で降りて、美術館まで歩いて行きました。美術館は、吉祥寺から車で何度も通ったことのある、五日市街道の玉川上水を挟んだすぐ脇にありました。 美術館の横には、というか、平櫛田中の自宅の横に美術館があります。その自宅とは、以前から建築雑誌で何度も見たことのある、大江宏設計の「平櫛田中邸(九十八叟院)」でした。

「小平市平櫛田中彫刻美術館」ホームページ


平櫛田中邸(九十八叟院)の前庭には、彫刻用の原木が残っています。「彫刻用原木(クスノキ)」の銘板には、以下のようにあります。


クスノキは色調が複雑で独特の味わいと芳香があり、古くから仏像や面などに使用されていますが、この原木は平櫛田中が百歳になってから彫刻用の原木として用意されたものの一つです。この頃、庭の一角には向こう30年間は創作活動を続けられるだけの原木が乾燥のため寝かせてあり、これで日本画家の横山大観や、地唄舞の武原はんの像などを制作する予定でした。特にはん像は色々な検討が進められていて、代表作「鏡獅子」(国立劇場展観)に匹敵する女人の舞姿を彫りたい意向であったといいます。樹齢 推定500年、直径 約1.9m、重量 約5.5トン。


平櫛田中(1872-1979)は、明治から昭和まで、約1世紀に渡り活躍した木彫家です。岡山に生まれた田中は、高村光雲門下の米原雲海らに兄事して木彫を学びます。彩色技法と西洋彫塑のリアリズムを伝統的な木彫に取り入れ、107歳で没するまで数多くの作品を世に残しました。また、田中は、教育者としてもすぐれており、後進を育てることも大切にしました。若手の作家が制作に対して手抜きをすると厳しく接し、芸術の道を真摯に探究するよう諭す一方で、彼らを惜しみなく支援しました。


そうそう、東京国立近代美術館で開催された「東北を思う(所蔵作品展)」では、展示のトップを飾ったのが、平櫛田中の「鶴氅(岡倉天心像)」が展示されていたのは、記憶に新しいところです。鶴氅(かくしょう)とはもともとは鶴の羽で作られた衣のことでしたが、転じて、黒の縁をつけて白い羽織のような衣を指します。この衣は徳の高い道士や学者が身につけました。それをまとった姿で2メートルを越える像高で、岡倉を特別な存在として顕彰しようという意図が読み取れます。

東京国立近代美術館で「東北を思う(所蔵作品展)」展を観た!







「平櫛󠄁田中コレクション展」
平櫛󠄁田中(1872-1979) は、100 才を超えても現役の作家として活躍した日本彫刻界を代表する木彫家の一人です。後に自分のコレクションの散逸を防ぐためと、学生の制作の糧となる作品を残したいという本人たっての思いから、本学へ自作を含めた近代彫刻のコレクションが計149 点寄贈され、平櫛󠄁田中コレクションとして現在当館に収蔵されています。本コレクションの中から、近代彫刻の名品をご紹介します。
また、本展にあわせて当館の根付コレクションを約20年ぶりに公開いたします。根付とは、印籠や煙草入れなどを着物の帯にはさむために吊下げるときに使用する留め具です。掌におさまる大きさでありながら様々な素材や意匠を凝らして創作され、国内外で高い人気を誇ります。斬新な着眼点で作りこまれた「掌の芸術」の世界をどうぞお楽しみください。

「東京藝術大学大學美術館」ホームページ

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