クリストフ・マルケ「フランスで賞賛られた明治の風刺画家 河鍋暁斎」! | とんとん・にっき

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クリストフ・マルケ先生の「フランスで賞賛られた明治の風刺画家 河鍋暁斎」を聞いてきました。


講演会は、以下の要領で開催されました。

学校法人城西大学創立50周年記念特別講演会

「フランスで賞賛された明治の風刺画家 河鍋暁斎」

2015年7月17日(金) 11:10~12:40

学校法人城西大学紀尾井町キャンパス1号棟

地下ホール(千代田区紀尾井町3-26)


講師のクリストフ・マルケ先生の略歴は、以下の通りです。

1965年、フランス生まれ。フランス国立東洋言語文化大学(INALCO)教授。日仏会館・日本研究センター所長。日本近世・近代美術史と出版文化史が専門。編著に「日本の文字文化を探る―日仏の視点から」(勉誠出版2010年)、「テキストとイメージを編む―出版文化の日仏交流」(勉誠出版2015年)等。フランスでは芳中、北斎、歌麿、蕙斎、河鍋暁斎など数多くの江戸・明治の画譜の翻訳と復刻を出版。2015年4月に欧米で初めて大津絵についての著書「OTSU-E:imagerie populaire de Jpon」(日本の民画・大津絵-楠瀬日年大津絵版画集)を刊行。


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マルケ先生の講演は、以下の通りです。(文責:tonton)


・「フランスで賞賛られた明治の風刺画家 河鍋暁斎」、このテーマは、二つの理由による。

・一つは、今年の1月にフランスでジャーナリストの襲撃事件があったこと。風刺画の新聞社が襲われました。日本には風刺画の伝統があるのか、というインタビューを受けました。

・もう一つは、三菱一号館美術館で「河鍋暁斎展」が開催されていること。暁斎が、フランスで賞賛されたという資料が出ています。そうした理由で「明治の風刺画家」というタイトルにしました。


・河鍋暁斎は、江戸末期に生まれます。7歳で歌川国芳に入門、約2年間修業をします。1840年、駿河台狩野派に入門、ほぼ10年間狩野派で修業をします。本来なら、狩野派を引き継ぐはずだったのが、独立、浮世絵師として活躍します。

・日本とフランス、150周年記念の年です。80枚のスライドを用意しました。


・エメ・アンベールの「絵で見る幕末日本」(講談社)は、1870年(明治3年)、日本の事情を初めて欧米へ紹介した本です。写真はあまりなく、版画や風俗を描いた絵で紹介していますが、20人以上の画家のスケッチです。暁斎の肉筆画が13点、取り上げられています。妖怪の劇画「頸の上の曲芸」や「長鼻の曲芸」などの錦絵があります。


・「日本を想う」(IMAGINE JAPAN)

・フランスとの関係は明治になってからです。実業家ギメと画家レガメが、日本の宗教調査で明治9年(1876)来日します。ギメは、フランスで非西洋の博物館をつくりたいと思った。

・「暁斎日記」(福富太郎蔵)、エミール・ギメの名刺

・ギメとレガメがなぜ暁斎を選んだのか?風刺画を描いた人に会いたいと思ったから。


・「日本散策」(1880年)、外国人の画家が湯島4丁目の暁斎宅を描いた。そして、お互いを描く「競作」を。

・「日本散策」には、明治以降の多くの日本人が無宗教論者であるのと同じく、暁斎も仏教を非難していたことは奇妙なことだ、と。「鳥獣戯画」が、風刺画と仏教を批判していた関連からか。

・「暁斎百図」には、「あみ陀の光も金次第」とか「砂(いさご)の中の黄金」など、仏教批判が描かれている。ギメとレガメは、仏教批判を描いている人に会いに行った。


・扇子に描いた絵に「蛙の車引き図」がある。ギメは、「日本近代の発明を凝縮した絵のようにみえる」と、コメントしています。

・「暁斎画譜」(岩波文庫)には、「政治風刺のために、人生の大半を牢獄で過ごした自分の生涯」と書かれている。

・レガメ著「実用の日本」(1891年刊)


・明治3年に不忍池の書画会の席画「高貴を嘲笑した絵」のため。官史に逮捕された「筆渦事件」。「暁斎氏乱酔狂筆を揮ひて捕え」られる。暁斎、大番屋に投獄され、「咎50」。

・後に、「筆禍史」(明治44年)

・「釈迦如来図」(明治9年)をギメに贈った。ギメのために描いた肉筆画。下絵をみると、暁斎の制作過程がよくわかる。


・ギメ美術館の暁斎の絵本。15冊。「おしえ草孝行和讃」(1870年刊)、ギメ美術館蔵

・「暁斎百図」→「百の日本の諺」(1880年間)、フランシス・ステナケラス著

・シャンフールリ「秘蔵の風刺画」(1888年)

・大津絵 パロディ→風刺 「大津絵の東下り」(1863年)


・ゴンス「日本美術」(1893年)、暁斎を紹介、ゴンス所蔵の「煙管入れ」暁斎図案

・ゴンスが暁斎をどういうふうに紹介したか。北斎最後の弟子である。歯に衣着せぬ言動が異彩を放っている。政治の風刺により投獄された。偉大な師(北斎)の陰に控える小物。ヨーロッパにかぶれずに日本的な美意識を全うした。

・明治16年(1883)、ビングの協力で龍池会がパリで主催した日本美術縦覧に、暁斎が「龍頭の観音図」を出品した。


・うりゅうまさやす著「暁斎画説」

・版画家フェリックス・ブラックモン、食器をつくり1867年万博に出品。

・「暁斎画談」、湯島天神の馬、暁斎が門人へ写生を教える。

・日清戦争の頃に来日した仏人エマニエル・トロンコワと天真道場の先生たち。15年滞在した。交流は洋画家と、集めたのは日本画でした。「鍾道と鬼」、「追鷹図」トロンコワ所蔵。暁斎の画だと分かった。パリ装飾美術館蔵。「暁斎帖」トロンコワ旧蔵、下絵14店、最近まで装飾美術館でも存在を知られていなかった。


・ル・フィガロ「訃報記事」1889年7月29日の一面(没後3か月)。日本の最も偉大な画家暁斎が亡くなった。師国芳によって叩き込まれた。酒を呑まずには描けなかった。

・遺作「暁斎百鬼画談」2010年にフランスで復刻版が、限定500部、出版された。シルクスクリーン7色、全長6mの折本。「百鬼夜行絵巻」を元にした。


・水木しげる「図説日本妖怪大全」1994年(仏訳2008年)。

・2005年パリの日本文化会館で「妖怪展」が開かれる。外国でも人気が高い。

・いま、三菱一号館で「暁斎とコンドル展」が開催されている。それにちなんだシンポジウムで使った画像。河竹黙阿弥作「漂流奇譚西洋劇」パリス劇場 表掛りの場(1879年)、芝居茶屋の前に掛けられた行灯絵。


・コンドルが、日光で暁斎を描いた絵。

・1911年に暁斎の画業を紹介する著書。

・フランスでは風刺画家として、コンドルは日本画の技法を初めて紹介した。


・7月19日、NHK日曜美術館アートシーンで、暁斎が紹介されます。


「質疑応答」:省略


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学校法人城西大学創立50周年記念特別講演会

「フランスで賞賛された明治の風刺画家 河鍋暁斎」

2015年7月17日(金) 11:10~12:40

学校法人城西大学紀尾井町キャンパス1号棟

地下ホール(千代田区紀尾井町3-26)






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