向井潤吉アトリエ館で「向井潤吉 異国の空の下で」を観た! | とんとん・にっき

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世田谷美術館分館である向井潤吉アトリエ館、まあ、うちの近所と言っても差し支えないでしょう。向井潤吉アトリエ館のある場所は、うちの子供が通っていた駒沢中学校の裏にあります。佐藤秀三の設計により1963年に建てた自宅兼アトリエが、樹木に囲まれた現在の「向井潤吉アトリエ館」です。1961年、不審火によってアトリエと応接間を消失、前年持ち帰った滞欧作40点を含む作品、模写4点、スケッチなど百数十点が、文献資料などとともに灰燼に帰しました。世田谷美術館分館として「向井潤吉アトリエ館」が開館したのは1993年のことです。


朝日新聞社発行の「向井潤吉展 わかちがたい風景とともに」(2010年3月3日発行)の「ごあいさつ」には、以下のようにあります。(日本橋高島屋で開催された「向井潤吉展」の図録)

向井画伯は、20世紀の始まりとともに京都に生まれ、20代後半に2年余りをルーヴル美術館で名画の模写に励むなどパリで勉学に過ごしました。戦時色の深まるなか、40歳前後の数年間は従軍画家としての活動に多くの時間を費やしました。ライフワークとなった民家を描き始めたのは、戦後間もなくです。その後40余年間、北海道から鹿児島まで、キャンバスや絵の具を携えて旅をしながら描いた民家は千数百戸を超えるといわれています。しかし、その多くはすでに、20世紀後半の日本の高度経済成長とともに消え、民家とともに描かれた豊かな自然もまた多くがその姿を変えてしまいました。向井画伯の没後15年、環境や文化・自然遺産の保護への意識が高まってきた21世紀の今、向井が愛情をこめて描き残した作品は、郷愁や美的な感動を呼び起こすだけではなく、人の生き方、暮らし方の根本にかかわる何かを私たちに考えさせてくれるのではないでしょうか。


今回の展覧会は「異国の空の下に」と題されていますが、ルーヴル美術館でも模写やヨーロッパを描いたものは、今までも展示されていて目にしましたが、1960年代に中国に取材した作品は今回初めて目にしました。「雲とみ仏たち(中国大同雲崗)」昭和55(1980)年と、「塔と壁(中国蘇州)」昭和57(1982)年の2点です。


油彩:母屋1階



土蔵展示室(1階)





土蔵室展示(2階)



展示室母屋2階


向井潤吉:略歴

1901(明治34)年
   京都市下京区に生まれる。
1914(大正3)年
   京都市立美術工芸学校に学ぶ。
1916(大正5)年
   関西美術院に学び、人物のデッサン・油彩画の基礎を学ぶ。
1920(大正9)年
   新聞配達で生計をたてながら、第6回二科会展に初入選する。
1927(昭和2)年
   渡欧。ルーブル美術館で模写に没頭し、技法、表現の研究を重ねる。
1930(昭和5)年
   帰国。第17回二科会展に滞欧作を特別出品し、樗牛賞を受ける。
1933(昭和8)年
   世田谷区弦巻にアトリエを構え、以降、制作の拠点とする。
1937(昭和12)年
   陸軍報道班員として、戦争記録画の制作に従事する。
1945(昭和20)年

   行動美術協会を創立。ライフワークとなる、民家シリーズの制作が始まる。

1959(昭和34)年
   渡欧。ヨーロッパ各地を写生し、巡る。
1961(昭和36)年

   アトリエを不審火で消失。貴重な作品、資料を失う。
1962 (昭和37)年
   住まいを兼ねたアトリエを再建。(現在のアトリエ館)

1966(昭和44)年
   訪中日本代表団の一員として、北京、上海、蘇州などをめぐる。
1974(昭和49)年
   画業60年記念向井潤吉環流展を開催。
1982(昭和57)年

世田谷区名誉区民となる。
1993(平成5)年
   向井潤吉アトリエ館開館。
1995(平成7)年
   急性肺炎で、自宅において逝去。
   アトリエ館において、「お別れの会」を行う。


「向井潤吉 異国の空の下で」

1901年に京都で生を受けた向井潤吉は、その幼少時代に千年の都を囲む風土と、ここに育まれた文化を素肌で感じ育ちました。やがて、青年となった向井は洋画に関心を寄せ、画家を志します。その素直な情熱は生涯にわたって彼の心の中に保たれ、さまざまな題材へと関心を広げさせました。草屋根の民家という独特な画題による作品群は、向井潤吉を語るうえで欠くことのできないものですが、この展覧会では、これらとは大いに趣の異なる作品の数々をご紹介します。1920年代の終わりに西洋美術の研究のためにルーヴル美術館で描いた古典名画の模写作品、また、1950年代にヨーロッパ各地を旅して描いた作品、そして1960年代に中国に取材した作品などを見渡しますと、その画面には向井潤吉の画家としての眼差しが隅々まで行き届いていることを感じます。それは、向井潤吉が長年にわたって日本の風土から受け取ってきた光や風、あるいは文化的背景とは異なった世界に向かって、自身の興味や関心を深めていく過程が定着しているからなのでしょう。展覧会の並ぶ民家を題材とした作品と見比べていただきながら、向井潤吉の画家としての眼差しの奥深さを堪能していただければと思います。


「向井潤吉アトリエ館」ホームページ

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