木村榮一の「謎ときガルシア=マルケス」を読んだ! | とんとん・にっき

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映画「コレラの時代の愛」を観たときに、ブログに以下のように書きました。


ノーベル文学賞作家カブリエル・ガルシア=マルケスの「コレラの時代の愛」が原作のこの映画、50年にもわたる壮大な愛の物語です。ガルシア=マルケスとは誰か?1928年、コロンビア生まれ。1967年に代表作「百年の孤独」(邦訳・1972/1999年新潮社)を発表、大江健三郎などに多大な影響を与えたという。たしかに大江のエッセイ等には、ガルシア=マルケスについて、特に「百年の孤独」についてはちょくちょく出てきます。この作品でガルシア=マルケスは、1982年にノーベル文学賞を受賞します。受賞の理由は、「現実的なものと幻想的なものを結び合わせて、一つの大陸の生と葛藤の実相を反映する、豊かな想像の世界」を創り出したことにあったという。(参考:ウキペディアなど)


ということもあり、ガルシア=マルケスの「百年の孤独」は、僕が近いうちに読んでみたい著作の一つに思っていました。つい最近、2004年に発表されたという「わが悲しき娼婦たちの思い出」(邦訳・2006年新潮社) という著作も興味があり、読んでみたい候補に思っていました。この映画の原作となった1985年発表の「コレラの時代の愛」(邦訳・2006年新潮社)については、この映画を観るまで僕はまったく知りませんでした。なんと、彼の代表作「百年の孤独」と並んで、「コレラの時代の愛」も「世界傑作文学100選」に選ばれているという。
ハビエル・バルデムの「コレラの時代の愛」を観る!


映画「コレラの時代の愛」を観るきっかけは、コーエン兄弟の「ノーカントリー」という映画を観たことで、主役がハビエル・バルデムつながりということでした。しかし、その時にガルシア=マルケスの著作を読んでみようと思いながら、「百年の孤独」は購入したもののいまだに積読状態で、その他の著作も一冊も読んでいないという体たらくです。


ガルシア=マルケスの作品を何冊か読んでから、この本を読むべきではないかとのお叱りの声も聞こえますが、木村榮一の「謎とき」(新潮選書:2014年5月25日発行)を読みました。直接のきっかけは、今年の4月17日に、ガルシア=マルケスが87歳で亡くなったことでマルケスを悼む新聞記事を数多く見たこと、「謎ときガルシア=マルケス」の、いとうせいこうによる「魔術的魅力の背景、誠実に解説」と題した書評が朝日新聞読書欄(2014年6月29日)に載ったことによるものです。いずれにせよ、この本のことを書くのは、僕には任重くして道遠しです。


いとうせいこうは、この本は、ラテンアメリカ文学を長年にわたって翻訳してきた著者が、ガルシア=マルケスの背景にある歴史、文学、人間関係を広範囲にひもとくものである、として、以下のように書いています。


ファンの一人として、こまぎれに知っていたエピソードが、ここでは誠実に漏らさず記述され、例えばいわゆる魔術的リアリズムがマルケスの故国コロンビアに染み渡るカリブ海的な文化、あるいは祖母に流れるケルト人の血によっても裏打ちされていることや、奇跡的に才能を見出されるまでの貧しさの中でも変えなかった信念などが改めて魅力的に伝えられている。


そしていとうは、以下のように結んでいます。「今後、日本の作家にとりわけ政治的苦難が訪れる時、ガブリエル・ガルシア=マルケスはこれまでとと違う世界標準の読み方をされ、ますますその偉大さをあらわすだろう。本書を胸に書こう」。


僕が最も感動したのは、第13章「独立戦争の英雄シモン・ボリーバル」の項でした。シモン・ボリーバルは、ラテンアメリカでは知らない人がいないほど有名な歴史上の人物です。詳細は省きますが、ボリーバルは、スペインの植民地であった地域を次々に開放し、できれば北はメキシコから南はチリ、アルゼンチンに到る全イスパニアノアメリカを一個の巨大な共和国連合にしようと、粉骨砕身の働きをしました。しかし、ガルシア=マルケスは、輝かしい栄光に包まれたボリーバルを描こうとせず、運命に翻弄され、苦悩する、悲運と悲惨さを徹底的に描きました。病み衰え、傷心のうちにマグダレーナ川を下っていくシモン・ボリーバルの姿を追い、歴史小説「迷宮の将軍」に仕上げています。


「謎ときガルシア=マルケス」は、第1章から「新大陸発見」で、「植民地時代から独立へ」と続きます。言うまでもなく、スペイン帝国から南米の解放という歴史です。そこには、移民、混血、支配、革命、軍事クーデター、迷信、宗教、それらが絡み合い、反発し合っています。木村榮一は、それらを多くの資料により、すべて過不足なく描き出しています。ただし、開高健や司馬遼太郎の言説を、わざわざ引く必要はなかったように思います。


木村榮一:

1943年、大阪生まれ。スペイン文学・ラテンアメリカ文学翻訳者。神戸市外国語大学イスパニア語科卒、同大学教授、学長を経て、現在、神戸市外国語大学名誉教授。主な著書に、「ドン・キホーテの独り言」、「翻訳に学ぶ」(岩波書店)、「ラテンアメリカ十大小説」(岩波新書)など。主な訳書に、コルタサル「悪魔の涎・追い求める男」(岩波文庫)、バルガス=リョサ「緑の家」(岩波文庫)、「若い小説家に宛てた手紙」(新潮社)、ガルシア=マルケス「わが悲しき娼婦たちの思い出」、「コレラの時代の愛」、「ぼくはスピーチをするために来たのではありません」(新潮社)、「グアバの香り―ガルシア=マルケスとの対話」(岩波書店)他、多数。


本の裏表紙には、以下のようにあります。

現実と幻想が渾然と溶け合う官能的で妖しい世界――はたして彼は南米の生んだ稀代の語り部か、壮大なるほら吹きか? 生まれ育ったカリブ海の日常生活に潜む底抜けなユーモアのセンスを手がかりに、ラテンアメリカ文学の魅力を「ドン・キホーテ」のスペイン語文学、さらにはコロンブスの”冒険心”にまで溯って、縦横無尽に解読。数々のマルケス作品を翻訳した著者が世界的文豪の発想力の原点を解き明かす。


謎ときガルシア=マルケス 目次

第1章 新大陸発見

第2章 植民地時代から独立へ

第3章 独立から現代までの文学

第4章 作家への道

第5章 習作時代

第6章 旅立ち

第7章 疾風怒濤

第8章 記憶と創造

第9章 「百年の孤独」

第10章 「族長の秋」

第11章 悲劇としての小説

第12章 「コレラの時代の愛」

第13章 独立戦争の英雄シモン・ボリーバル

第14章 晩年の小説二編

あとがき


朝日新聞文化欄:2014年4月22日
bunka