ルーヴル美術館を観た・ラファエルロ・サンティ編 | とんとん・にっき

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来るもの拒まず去る者追わず、
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4月23日から4月30日まで8日間、フランス旅行を楽しみました。ルーヴル美術館へ行ったのは第6日目の午前中でした。ルーヴルへはじめて行ったのは1988年11月のこと、その後何度か行きましたが、ちゃんと観たのは今回が初めて。ちゃんとと言ってもあの大きな広いルーヴルの1階と2階のごく一部だけです。
しかし、ガイドさんがよかったのか、ルーヴル美術館必見(「週刊 世界の美術館」ルーヴル美術館①)の10点のほとんどを観ていました。まあ、何を観るかは人それぞれですが…。


ルーブル美術館でラファエルロの作品が展示されていたのは、レオナルド・ダ・ヴィンチの作品が展示されていたすぐ隣でした。


以下の解説は、「ルーヴルガイド」による。


チンクェチェント(16世紀)最初の20年は、フィレンツェも相変わらず芸術の都であり、ダ・ヴィンチ、ミケランジェロやフラ・バルトロメオ研究に来たラファエルロが、解剖学、光の技巧、感情表現の基礎を学んだ。ラファエルロはそこに滞在している間、優しさに満ちた聖母「美しき女庭師」を始め、聖母マリア像を数多く描いた。1508年ユリウス2世からローマに招聘され、ヴァチカン宮殿の部屋を装飾するフレスコ画を担当した。教皇のもとでの、数年間にわたる精力的活動の序幕である。門下生に囲まれてのこのような作業以外に、イーゼル絵画も制作したが、その中にはフランソワ1世に贈るためロレンツォ・デ・メディチが依頼した「聖ミカエル」がある。モンテフェルトロ侯爵のために描かれたといわれるもう1点の小品「聖ミカエル」そして「聖ゲオルギウスと龍」と共に、ルーヴル美術館が所蔵している。ラファエルロはまた、息を呑むほど真に迫った「バルダッサーレ・カスティリオーネの肖像」も制作した。ラファエルロは300年間の間、特にフランスで類稀な好評を得た。37歳で突然の死を迎えたことが、伝説化の原因でもある。


「聖母子と幼児聖ヨハネ」

別名「美しき女庭師」

1507年

フランソワ1世に買い取られたといわれ、正式には「聖母子と幼児聖ヨハネ」と呼ばれる。画家24歳の作品。ラファエルロは37年の生涯で50点ほどの聖母子像を描いたが、本作は心のふれあいと慈愛を表現するために、聖母とイエスが直接視線を交し合うという稀有な作例。


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「バルダッサーレ・カスティリオーネの肖像」

1514-1515年頃

ルネサンス期の人文主義貴族の代表人物、「宮廷人」(1528年)の著者でもある。衣装の豪華さは素材の美しさを通してのみ現れるべきであるとし、黒、灰色とベージュが見事に調和する。モデルの青い目が唯一の色で、鑑賞者の視線に鋭く浸透し、その動きを追うかのようである。


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「聖ゲオルギウスと龍」

1504年頃

カッパドキアの王女を救うために悪龍を退治する場面が、21歳頃のラファエルロの正確なデッサン力で描かれている。


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「聖家族」

通称「フランソワ1世の大聖家族」

1518年

ラファエルロは、若くして没することがなければ、朝廷にも招聘されていたことであろう。作品の複雑な構図、鈍い色調、衣紋の表現の上品さは、晩年にはマニエリスム様式に向かっていたことを示す。しばらく忘れられていたラファエルロは、1650年代にフランス人により再発見され、19世紀まで最も優れた画家、傑出した模範、絵画の天才とすら考えられた。


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ルーヴル美術館公式ウェブサイト(日本語)


lou4 「ルーヴルガイド」

公式図録

600点のコレクションを掲載







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「週刊 世界の美術館」NO1

ルーヴル美術館①

2008.7.24/7.31合併号







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「初めてのルーヴル」
著者:中野京子
発行:2013年7月5日
発行所:集英社





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「ルーヴル美術館の楽しみ方」

著者:赤瀬川原平、熊瀬川紀

発行:1991年11月20日
発行所:新潮社・とんぼの本







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