越後の名匠石川雲蝶の作品は、上の「ガイドマップ」に載っているものだけでも新潟県内の14カ所に及んでいます。奇しくも2014年は、石川雲蝶の生誕200年にあたります。10数年前から雲蝶のことは名前だけは知っていましたが、いつかは訪れて見たいと思いながら10数年経ってしまいました。「大人の休日倶楽部パス」を利用して6月19日にやっと行くことができました。
とりあえず上越新潟新幹線で「浦佐駅」まで行き、なんの下調べもせずレンタカーでも借りてと思ったのですが、道は不案内だしレンタカーの運転は苦手です。どうしたものかと「浦佐駅」で聞いたらいわゆる「観光タクシー」があり、雲蝶関連の寺を2時間で回ってくれるということを知り、「西福寺・開山堂」と「永林寺」を観られるというのでお願いしました。「浦佐駅」には上の「ガイドブック」が置いてあり、雲蝶関連の観光客を期待していることがうかがわれました。雲蝶作品は確かに凄い。「日本のミケランジェロ」という呼び名も、あながちオーバーではありませんでした。
「ガイドブック」には、以下のようにあります。
神業的な作品が魅せる、唯一無二な存在感
ノミを握れば「彫りの鬼」と化し、一心不乱に作品と向き合った彫り物の名工・石川雲蝶。その妙技から生み出される木彫りや石彫、絵師を思わせる見事な絵画まで、息をのむ数々の作品はまさに「日本のミケランジェロ」と称えられるにふさわしい。江戸に生まれ、越後の地で終焉を迎えた雲蝶の人物像は、多くの資料を焼失したことから謎に包まれている。しかし、その残された作品やエピソードから、それぞれの雲蝶像をイメージしてみるのも面白い。それを加納にするのも、雲蝶という鬼才が放つ不思議な魅力だ。さあ、日本のミケランジェロに会いに行こう。
「西福寺・開山堂」
魚沼の地で始めて手がけた大作にして「越後日光」の彫り物に息をのむ
曹洞宗の名刹・西福寺。この寺に残された作品の多くは、曹洞宗の開祖・道元禅師の話をもとに制作されており、ストーリー性のあるところがその特徴。特に、1852(嘉永5)年に起工し、1857(安政4)年に完成した開山堂は「雪深く貧しい農村地域の人々の心のよりどころとなるお堂を建てたい」、「お釈迦様や道元禅師の教えが多くの人の心を幸せに導く」と信じた当時の住職・大龍和尚が、道元禅師の世界を表現するよう雲蝶に依頼したもの。この開山堂での仕事は、雲蝶にとっては、一人で手掛ける初めての大作となっている。なかでも、堂内の天井一面に施された彫刻「道元禅師猛虎調伏之図」は圧巻。その作品からは、破天荒なイメージとはほど遠く、依頼主の気持ちを酌み取れる実直な職人だったことをうかがうことができる。
「永林寺」
13年の歳月をかけ本堂に施された作品、雲蝶の人物像にふれる逸話も興味深い
約500年前に創建され、松平光長(越後高田藩主)の菩提所として本堂建築を認められるとともに、葵の紋章を許された由緒深い曹洞宗の名刹・永林寺。この寺と雲蝶との接点には、ばくち好きな雲蝶のイメージを彷彿とさせる逸話がある。それが仕事の依頼者である当時の弁成和尚との賭け勝負。「雲蝶が勝ったら金銭を支払い、弁成和尚が勝ったら永林寺の本堂一杯に力作を手間暇惜しまず制作する」というもの。この賭けに弁成和尚が勝ち、1855(安政2)年に雲蝶は永林寺を訪れた。その後、13年という月日をかけ、欄間をはじめとする彫工や絵画など100点を数える作品を手掛けた。なかでも欄間に施された天女の透かし彫りはあまりにも有名。
「越後の名匠 石川雲蝶
足跡と作品を訪ねて」
平成24(2012)年4月29日第3刷発行
著者:木原尚
発行所:新潟日報事業者
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