とんとん・にっき -548ページ目

「大人のためのリトミック教室」に参加しました!

こんなメールが来ました。「第2回大人のためのリトミック教室」のご案内です。昨年8月の始めに行いましたが、好評だったので継続してやることになりました。下記の通り実施しますので、参加される方は連絡をください。として、場所は、東横線大倉山駅の大倉山記念館第10集会所となっていました。去年も参加して、ブログにも書いたので探してみましたら、必要なことは全部書いてありました。今回、わざわざ書くほどのことはないとは思いましたが・・・。

先生の挨拶・心構えなど


渋谷から東横線に乗って大倉山の駅で降り、念のためトイレへでも行っておこうかなと立ち止まったら、なんと本日の先生のミオコ先生、僕らはいつもバーバラと呼んでますが、に声をかけられました。バーバラがいつもレッスンをしているのは、1歳児から5歳児までだそうです。さてさて、今日は大人が相手です。果たしてどうなることやら。一緒に改札口を出てアートコーヒーを覗くとそこで待っていたのがルミコ先生、3人で坂道を登り、大倉山記念館へ向かいました。かなり急な坂道で、たどり着く頃にはハアハアと息が上がっていました、僕だけは・・・。早く着いたので、さっそく着替えて、建物の周りや内部をくまなく探索しました。写真をバチバチ、といっても、カメラ付き携帯ですけど・・・。


クラシックな外観の大倉山記念館、話には聞いていましたが、実物を見るのは初めてです。前々からなんかちょっと変わった大倉山に建物がある、クラシックだが正統派ではない建物、まがい物じゃないかと。それが見られる楽しみもありました。案内板に、設計は長野宇平治とあったので、名前は知ってますよ、大正時代の建築家ですよ、辰野金吾の設計した日銀本店の横に増築部分を設計した人だと。でも、おかしいな、長野宇平治だったら正統派なんだけどな?まあ、大倉山記念館の建築については別の項を設けて書きますけど。


ストレッチ(1)


ストレッチ(2)

前回同様、前半はルミコ先生がストレッチを担当、その後ミオコ先生、つまりバーバラがリトミックを担当しました。ストレッチもじっくりやると気持ちがよく、汗がジワリと出てきます。ヨガも交えたストレッチでした。リトミックでは、前回同様、音感がないことをさらに実感しました。バーバラの弾くピアノに合わせて、音楽に合わせて動く、音楽が止まったら止まる、なかなか「即時反応」ができません。「音」と「自分の動き」がまったく連動しないのは、歳だからでしょうか?「おもちゃのチャチャチャ」に合わせて、4人ずつのグループ、4チームがそれぞれ別のリズムを出します。それを合図に合わせて順繰りやるのですが、これもまた思うようにはできません。 参加者は全員で12人、集会室を借りるのに800円、ピアノを借りるのに3000円でした。


会の歌・音合わせ


若くてやさしい先生方


僕らの仲間の「会の歌」ができました。「水と人の記憶」という、なかなかしっかりした正統派の歌です。実は裏バージョンの歌詞もあるのですが、これがまた面白い!リトミックの最後に、みんなでこの歌をマスターしようと、バーバラのピアノとMさんのウクレレで何度も歌いました。CDにして売り出そうとか、冗談も出る素晴らしい出来でした。終わってから、全員で大倉山記念館裏手の「梅園」で「甘酒」を味わいながら少し早い梅見としゃれ込みました。水戸から来ていたI君と、今年は寒かったので、梅の咲くのはいつもよりは遅いでしょう、とか、話ながら。そんなこんなで日曜日の午前、楽しい2時間を過ごしました。午後の部は、横浜に出てから「鶴見線の旅」、そして「沖縄料理を食べる会」と続くそうですが、僕は仕事の都合で午前の部だけの参加となりました。


全員並んで記念写真


過去の記事:「リトミックを体験しよう!」に参加しました!

表参道ヒルズ、本日(2/11)オープン!

新聞では全面広告、新聞広告に混じって豪華な小冊子も!

「表参道ヒルズ」は、「アークヒルズ」「六本木ヒルズ」に続いて「森ビル」が開発しました。この場所はご存じ「同潤会青山アパート」があったところです。この通りは明治神宮へ至る表参道ですが、そう古いものではありません。明治神宮の森も人工林です。「表参道ヒルズ」は、表参道の約1/3を占めるという長い建物です。既存の街に与える影響は計りしれません。超高層ビルが次々とできている現在、「表参道ヒルズ」は高さはわずか23.3m、地上6階建てです。


けやき並木と高さをそろえ、屋上緑化をおこなう

実際に通りを通る人が目にするのは地上3階部分のみで、けやき並木と同じ高さに押さえられています。しかし、その分掘り下げられて地下6階になっています。建物の中央には三角広場、ダイナミックな吹き抜け空間と大階段、独創的なスパイラルスロープがあります。らせん状のスロープは長さ700m、勾配は1/18(約3度)を保っています。スロープの両側には93店舗の専門店が軒を並べ、さながらひとつの街並みを形成しています。以前の住民が入居する38戸の住宅もあります。旧同潤会アパートを忠実に再現した「同潤館」もあります。この部分は小さなショップが入居します。外壁「ブライトアップウォール」は、夕暮れ時になると壁面に仕込まれた発光ダイオードが巨大なアートに変身します。「表参道ヒルズ」の設計は関西の建築家・安藤忠雄によるものです。


旧同潤会アパートの記憶を継承


過去の記事:

表参道のけやき並木

明治の森は実は人工林だった!

♪原宿、表参道、濡れて青山通り~

久しぶりに表参道

ゆりかもめに乗って東京ビックサイトへ

ビックサイトへのアプローチ

前日に突然思い立って申し込んだある講習会に出席するため、東京ビックサイトへ行ってきました。東京ビックサイト(東京国際展示場)は、施設総面積230,000㎡、展示ホールと会議施設を持つ日本最大の総合コンベンション施設です。今日は、銀座線で新橋まで行き、新交通システム「ゆりかもめ」に乗って行きました。いつもは自分の車で行くか、人の車に乗せてもらうか、建材屋さんが仕立てたバスで来ることがほとんどでした。「ゆりかもめ」に乗ったのはずいぶん前に一度あります。「ゆりかもめ」は各駅停車で思ったより時間がかかり、会場へ着いたのが受付時間ぎりぎりでした。いま考えてみると、JR山の手線大崎駅から「りんかい線」に乗り換えてで国際展示場駅まで出るという手があったのですが。


ビックサイト主玄関(会議棟)

ゆりかもめを降りると、ビックサイトへのアプローチは、逆三角形のシルエットが印象的です。そこからお目当ての会場までがさらに延々と続きます。受付で名前を書いて部屋へ入ると、すぐにT大のS先生の話が始まりました。S先生の話は今まで何度も聞いているので、「なんだ、またかよ」と思いました。話が始まってからすぐになんか変だなと気がつきました。僕が申し込んだ講習会とは違う部屋に入っていたらしいと。急いで部屋を出て受付で確かめたところ、僕が行くべきところはここではなく2階だということでした。大慌てで2階へ行ったところ、そちらにも受付があり、「Tさんですね、お待ちしていました」と受付の人に言われ、入ろうとしたところ、会費○○円ですと言われ、こちらは会費制、しっかりと前金で支払いました。まだ始まったばかりですからと一番前の席へ案内され、時計を見たらちょうど5分過ぎでした。危うくポカするところでした。


お台場からレインボーブリッジを望む

講習が終わった後に、簡単な試験をやりいますと言われました。いま聞いたことが出るのですから、間違うわけはないとタカをくくっていたのですが、いざ始めてみると肝心なところを憶えていないていたらく。そして試験の時間配分を誤りました。まず問題をじっくり見てから始めたら、なんともう残り時間がほとんどなくなってるではないですか。30分で30問の試験ですから、1題1分でこなさないといけなかったのですが。自分が思っていたより出来が悪くて、ちょっとガッカリしました。でも、まあ、落ちることはないでしょうけど・・・。


埠頭のキリンたち


「東京ビックサイト」の本会場では「ジャパン建材フェア」なるものをやっていて、広い会場、たくさんの人で埋まり、もの凄い熱気に包まれていました。建材メーカーは年に一度のビックチャンス、お得意さんを大型バスで大量に運び込んでいます。それを横目で見ながら、帰路に就いたというわけです。時間があれば、夜景のきれいなデートスポット「有明西埠頭公園」へでも行って、羽田空港へ向かって下降する飛行機を眺めるのもいいかと思いますが・・・。

春節の横浜ぶらり旅-2

港の見える丘公園よりベイブリッジを望む

朱雀門を出てから元町商店街へ。「きたむら」や「近沢レース」を見たりしながら、元町商店街を往復しました。ショッピングモールが整備されてからは、元町もステキな商店街になりました。2月は「元町チャーミングセール」の時期、洒落たお店が多いので見て歩くのに時間がかかりました。半額なんかは当たり前、どのお店も割引セールの真っ最中でした。


江戸千代紙いせ辰


横浜トリエンナーレ・モニュメント

さて、元町から「港の見える丘公園」へ。今までいつも車でしか行ったことがないので、あれっ、こんな道だっけと思いながら、急な谷戸坂を登って行きました。登る途中に、谷中に本店がある「江戸千代紙いせ辰」の谷戸坂店がありました。「港の見える丘公園」に出たら、思い出しました、確かにここでした。大佛次郎記念館があります。そこからの眺めは絶景、ベイブリッジも見えるし、みなとみらい地区も見えるし、なにしろ横浜港全体を見渡せます。マリンタワーの横の「横浜人形の家」は改装工事のため現在休館中でした。


日向ぼっこをするカモメたち


海からみなとみらい地区を望む

その後、山下公園で横浜トリエンナーレのコンテナを4つ繋げたモニュメントを見てから、シーバスに乗って「横浜赤レンガ倉庫」へ向かいました。氷川丸の接岸ロープの上ではカモメがたくさんならんで日なたぼっこをしていました。シーバスからの眺め、つまり海からの眺めですが、も素晴らしい。横浜港客船ターミナルもよく見えました。「横浜赤レンガ倉庫」は何度か来ているところです。古い煉瓦造りの倉庫を上手くリニューアルした好例です。洒落たお店がたくさん入っています。今回はほとんど素通りでしたが。


横浜客船ターミナル


横浜赤レンガ倉庫


そこからは歩いて、コスモワールドの横を通り、クイーンズスクエアの地下にあるみなとみらい駅へ。この前来たときはクイーンズスクエアの広場で大道芸をやっていて黒山の人だかりでしたが、今日は広場は閑散としていました。エスカレーターで地下4階か5階にあるみなとみらい駅からみなとみらい線に乗って渋谷まで戻りました。というコースで、春節の横浜ぶらり旅へ行ってきたわけです。中華料理をタラフク食べましたが、けっこう歩いたので、たぶん食べた分のエネルギーはなんとか消費したのではないでしょうか。残念ながら、万歩計をつけて出るのを忘れたので、果たして何万歩歩いたことやら、いずれにせよ、いい運動になりました。


過去の記事:みなとみらい線に乗って横浜へ行こう!

春節の横浜ぶらり旅-1

みなとみらいインフォメーション

「みなとみらい」線が開通して2周年だそうです。渋谷から特急で約30分で「元町・中華街」駅まで乗り換えなしの一直線で着きます。便利になったものです。「みなとみらい」線とは、横浜から新高島駅、みなとみらい駅、馬車道駅、日本大通り駅、そして終点元町・中華街駅の5駅です。2周年を記念して、様々なイベントが行われています。そこで、ちょいと覗いてみようかと、行ってきました、春節の横浜へ!


中華街・天長門      天長門と横浜大世界


渋谷から特急で元町・中華街駅へ。中華街口を出て、天長門をくぐって山下町公園の會芳亭を横目に見ながら歩いていると、ちょうど昼時。市場通り門の近くでバイキング形式、食べ放題の店に入りお昼の食事を。「喰えるだけ喰ってやるぞ」と一旦は思いましたが、そうそう食べられるものではありません。食後、開帝廟通りを歩き、開帝廟でお参りを。5本の中国の長いお線香を買って、指定された場所に一本ずつお線香をあげてお参りをしました


山下町會芳亭

開帝廟

地久門を出て長安道を歩き、善隣門へ。善隣門から中華街大通りを、物販のお店を冷やかしながらそぞろ歩き。萬珍楼、大珍楼、同發、重慶飯店、何度か行ったことのあるお店の名前が。角のお粥の美味しいお店も。さすがにお腹が一杯なので、今回は名物の「肉まん」は食べられませんでした。「月餅」も美味しそうでしたが。朝陽門から南門シルクロードを天長門を通って朱雀門を出ました。中華街をほぼ一周したことになります。


善隣門と中華街大通り

善隣門詳細

実は、石川町から歩いてすぐ、中華街大通りの善隣門の近くに学生時代の友人が下宿していて、というより、会社の倉庫の奥に管理人代わりに寝泊まりしていて、一時期、そこが僕らのたまり場だったことがあるんです。そこに集まっては、徹夜で呑んで議論して、朝日が出る頃に自転車で埠頭へ行ったりして遊んでいました。青春時代のいい思い出です。ということで、今回善隣門の周りを探してみたんですが、まったくどこだったか見当が付きませんでした。よく食べにいった安食堂もあったんですが見あたりません。ガラッと街が変わってしまいました。

過去の記事:みなとみらい線に乗って横浜へ行こう!

川上弘美の「溺レる」を読んだ!


「古道具 中野商店」の記事を書いて、川上弘美の本をブログで書いたものを末尾にリンクしたら、思いの外たくさんありました。そうだ、「溺レる」があったと思ったけど、どこかに入り込んじゃって見つかりません。ついこの間、どこかで見た気がするんですが。この本、買ったときのことをよく憶えています。発売から少し経っていたせいもありますが、近所の本屋で探しても、渋谷の大きな本屋で探してもなかなか見つかりませんでした。そこで意を決して、というほどではないですが、神保町の「東京堂」本店へ行ったら、難なく見つかりました。それ以降、探したい本があると、必ず神保町の「東京堂」本店へ行くことにしています。必ず見つかります。


実は「ない本がない」という触れ込みで発足した東京駅前の鹿島出版会の「八重洲ブックセンター」に何度か行ったのですが、けっこうないんですね。先日も長谷川三千子という人の書いた「からごころ 日本精神の逆説」(中公叢書)という本を「八重洲ブックセンター」で探したのですがありませんでした。で、結局、「東京堂」本店で買うことができました。一度読みましたが、難しくてわかりませんでした。本屋さんで「お取り寄せになります」と言われると、僕は非常に腹が立ちます。


さて、川上弘美の「溺レる」(文芸春秋)、本は見つからないけど、またすぐ出てくるでしょう。ちょこっと書いたものが確かMOに入ってるよなと、探してみたら出てきたのが5年ぐらい前に書いた下記の短い文章です。


「せっかくのミチユキなんだから、シニタイとかなんとか言いながらカタくカタくイダキアったりアイヨクにオボレたりしてもいいんじゃないの」

「でもアイヨクにオボレるのはちょっと」アイヨクにオボレよがしに背中や腹を撫でにくるモウリさんを押し返しながら言うと、モウリさんはえへへへへ、というような笑い声をたてて、「アイヨクはだめですか」と言い、わたしをひゅっと裏返した。(「溺レる」より)


人がひとりひとりまったく異なる個性を持っているように、人を好きになるときの気持ちや、それをどのような方法で相手に伝えるのか、ということに関しても、わざわざ型にはまったような方法を採る必要もない、そこにはさまざまな思いがあり、いろいろな形があるはずであり、そのいずれも間違っているというわけではないのだから・・・。


「溺レる」に収録されている8つの短編、「さやさや」「溺レる」「亀が鳴く」「可哀相」「七面鳥が」「百年」「神虫」「無明」、これらのいずれもが、一組の男女の間に生まれる微妙な関係を描いたものである。男女の関係という、見方によっては最も生々しいものを扱っているにもかかわらず、それをどこか遠い世界の話であるように書いているような感じがするし、あえてそのような書き方をしているようにも思える。


「溺レる」について、「ひとつひとつ、関係を深めていくことから発想しました。中年になると、若い頃より体力が衰える一方で想像力が増し、微妙なものがわかるようになる。陰影に富む恋愛になります」と、川上弘美は言う。

またまた「カサブランカ」を観てしまった!


いまさらですが、「カサブランカ」のあらすじは以下の通り。
第二次大戦下のモロッコ・カサブランカ、ここはアメリカへの亡命者が集まっていた。酒場の経営者で裏パスポートを作っているリック(ボガード)は、ある日、昔の恋人イルザ(バーグマン)に出会う。イルザの夫は反ナチ運動家のリーダーで危険な立場にいた。リックとイルザの気持ちに再び火がつき、一度はふたりでやり直そうとするが、結局、リックはイルザと夫に亡命用のパスポートを渡し、ふたりがアメリカへ飛び立つのを見送る。


女は怒っていた。ほんとうに怒っていた。何が「君の瞳に乾杯」であるか。リックの気障野郎。ウヌボレの自意識過剰の、とんでもねぇ野郎だ。ちっとは、女の気持ちも考えてみらんね。女を惚れさせたら責任とれ!自分も惚れてんだろ?そういうのを、やせ我慢だっつうの! と、怒りを込めてahahaさんという方がおっしゃっていました。<別れの映画> 洋画編vol.1



「カサブランカ」とウッディ・アレンの「ボギー!俺も男だ」を取り上げて、この映画は「男の美学」で男の勝手な言い分、「別れの映画」なので、自分は理解を拒否したい、というようなことをahahaさんは書いていました。まあ、自分たちの出会いの頃にそんなメールの会話があったということを再確認した、言ってみれば「おのろけ」のようなものです。聞かされる方はたまりませんが・・・。


まあ、ウッディ・アレンはいいとして、「ボギー、ボギー、あんたの時代はよかった~ 男がピカピカの気障でいられた」と、沢田研二が歌ってましたね。たしかに、今さらながらにそう思いますよ、なにしろ女がどんどん強くなっていったので。そういえばこの歌「カサブランカ ダンディ」を作詞したのは阿久悠でしたよね。そこでまた思い出した、やはり沢田研二が歌った「時の過ぎゆくままに」も阿久悠でした。このタイトル「時の過ぎゆくままに」って、まさに映画「カサブランカ」に出てきた曲ですよね。これだけで「阿久悠、お前も悪よの~」と言えるかどうかはわかりませんが、いずれにせよ「カッコいい」の代名詞だったんですね。



実は昨晩、BS2でまたまた「カサブランカ」を観てしまいました。がしかし、今まであまりにも多くの人がこの映画を取り上げて四方八方から書いているので、どう書いていいのやら、迷いに迷っているというわけです。いまさら映画の中で何回も出てきた「君の瞳に乾杯!」と書くわけにもいかず、伝説の名セリフ、「夕べはどこに?」「そんな昔のことは覚えてないよ」、「今夜逢える?」「そんな先のことは分からない」と書いても、なんか白々しい思いです。実は、そんなことを書くヤツはちゃんと映画を観ていないんじゃないかと、今回この映画を観て思い至りました。ということは、今まで僕はちゃんと観ていなかったと白状しているようなものですが。


確かにこの映画、何度観ても、美貌のイングリット・バーグマンと、渋くてなおかつ気障なハンフリー・ボガードの組合せが絶妙です。モノクロ映画なのに、イングリット・バーグマンの涙を含んだ愁いの瞳が素晴らしい。霧の飛行場での最後のシーンも、哀愁が漂い印象的でした。がしかし、ドイツ占領下の酒場でドイツ軍歌を歌うドイツ軍人に対抗して、敢然とフランス国歌「ラ・マルセイエーズ」を大合唱するシーンこそが、この映画の最大のメッセージなんだと、遅まきながらに気がついたというわけです。この映画は「レジスタンス」の映画なんですね。「そんなこと、わかっているワイ」という方も多いと思いますが、僕は今までこの映画何度も観ていますが、その辺りはなぜか素通りして観ていました。



なにしろ1942年のアメリカ映画です。1942年と言えば、第2次世界大戦のまっただ中、日本は「欲しがりません、勝つまでは」と耐乏生活に突入、パリ開放は1944年8月です。まだドイツ軍に占領されないフランス領モロッコの都市カサブランカは、暴虐なナチスの手を脱れて、リスボンを経由し新天地アメリカへ行くために、通過しなければならない寄港地だったんですね。そのカサブランカを舞台に、映画史に燦然と輝く名作中の名作である「ロマンス映画」をつくったんですね、余裕ですねアメリカは!

豊川稲荷の「一か所七福神」!


豊川稲荷東京別院は、愛知県の三州本山豊川稲荷(圓福山妙厳寺)の直轄別院です。赤坂一ツ木の大岡越前守邸にあったご本尊を明治20年に奉遷したものと言われています。三州本山豊川稲荷は、明治の神仏分離令の折、宇迦之御魂神を祀っているのではなく「本尊ダキニ天」を主張して、それを乗り切ったそうです。境内の配置や本殿は鳥居がないこと以外はどう見ても「神社」です。が、しかし、そうじゃないんですね、豊川稲荷は「お寺」なんです。

ということは、以前に書きましたが、ここでは豊川稲荷東京別院の「一か所七福神」を紹介します。ここだけで七福神すべてがお参りできますので、あちこち歩きたくないものぐさの方には、願ってもないところです。

布袋尊・福禄寿

寿老人

弁財天・毘沙門天

大黒天・恵比寿


過去の記事:
ちょっと早いけど豊川稲荷へ
豊川稲荷の節分会
なぜか急に「亀戸七福神めぐり」
東海七福神めぐり-1
東海七福神めぐり-2

川上弘美の「古道具 中野商店」を読む!


芥川賞作家の川上弘美、「文壇随一」の美貌とは聞いていましたが、なんと身長176センチでモデル並みのスタイルだそうで、なるほど男性ファンが多いのも納得です。経歴を見ると、1958年生まれの48歳。お茶の水女子大理学部生物学科を卒業してから、田園調布雙葉中・高校に理科の先生として勤務していたというから面白い。この学校は確か皇太子妃・雅子さんの出身学校ではなかったかな?その後、一介の専業主婦から突然作家に転身。94年にデビュー作「神様」がパスカル短編文学新人賞を受賞、96年「蛇を踏む」で第115回芥川賞受賞、00年「溺レる」で伊藤整文学賞、女流文学賞受賞、01年「センセイの鞄」で谷崎潤一郎賞受賞、とまあ、主要な文学賞を軒並み受賞してしまうという、そうそうたる経歴の持ち主です。


川上弘美の「古道具 中野商店」を読みました。古道具屋に集う人々の友情、恋愛、人生模様を描いた作品で、「センセイの鞄」に連なるほのぼのとした、言うなれば「ぬるい」感じの作品です。この作品の「誕生秘話」はこうです。文芸誌の担当編集者から「頼んでいた短編ですが・・・」と催促の電話があり、まずい、と思った川上さんは「実はまだ・・・」とポツリ。編集者が「タイトルだけでも」と粘ったその時、目の前にあった封筒を手に取り「題は『角形2号』です」と答えてしまったのが始まりだそうです。郊外の商店街に並ぶ古道具屋を舞台に、店主とアルバイトの男女、店に集う人々が交流する短編「角型2号」は、恋愛を主軸とする連作小説へと発展して行き、足掛け6年、12回にわたり雑誌掲載され、1冊の長編になったのが「古道具 中野商店」だそうです。


本の帯には以下のようにあります。

東京の西の近郊の小さな古道具屋でアルバイトをする「わたし」。ダメ男感漂う店主・中野さん。きりっと女っぷりのいい姉マサヨさん。わたしと恋仲であるようなないような、むっつり屋のタケオ。どこかあやしい常連たち・・・。不器用でスケールちいさく、けれど奥の深い人々と、懐かしくもチープな品々。中野商店を舞台に繰り広げられるなんともじれったい康、世代を越えた友情。幸福感あふれる最新長編。


「古道具 中野商店」を手に取ったとき、すぐに思い出したのは村松友視の「時代屋の女房」です。大井三つ又交差点、「銀色の日傘を差し、ピンクのTシャツを着て、夏の盛りにやってきた真弓が、骨董店<時代屋>の女房として居着いたのは5年前。」というところから、「時代屋の女房」は始まるわけです。また、ねじめ正一の「高円寺純情通り商店街」も思い出しました。しかし、どちらも男性が書き手であり、商店街の交流を扱っています。


「古道具 中野商店」は「だからさあ、というのが中野さんの口癖である。」で始まり、若い女性が書き手であり、もっと「今風」な世相を反映しています。読み進むに連れて、中野さんの女性関係のいい加減さがますます増し、中野さんの彼女・アスカ堂のサキ子さんと姉・マサヨさんは、独自の存在感を放つ個性的な存在として浮かび上がってきます。それに比して、若いタケオと主人公のヒトミちゃんは、なにをするにもはっきりしない。「セックスでもしちゃえば、少しは気楽になるんじゃないの」と、マサヨさんに言われる始末。


川上弘美らしい、といえばそう言える、なかなかいい作品でした。しかし、最後の章「パンチングボール」は、あまりにも付け足しの感は否めません。中野商店が解散してから3年近く過ぎた後のこと。ヒトミが派遣で行った先で、ウエブデザイナーになっていたタケオにばったり会う。あまりにも出来過ぎていてちょっと興ざめしてしまいました。若い二人の行く末がこんな程度かと。


過去の関連記事:
センセイの鞄は川上弘美の最高傑作だ!
ニシノユキヒコの恋と冒険
川上弘美の「光ってみえるもの、あれは」をまた読んだ!
川上弘美の「龍宮」を読む!
大井三つ又交差点「時代屋の女房」

高倉健の「単騎、千里を走る。」を観る!


仕事も一段落付いたので、と言うほど大層なことではなく、ただ単に週末ということなので、渋谷に出て夜は映画でも観ようかと思い出かけました。いつもよく行く「渋東シネタワー」へ行ったところ、「Mr&Mrsスミス」「有頂天ホテル」「オリバーツイスト」「単騎、千里を走る。」をやってました。近くでやっている「プライドと偏見」もいいかなと思いましたが、その中で本年度アカデミー賞最有力、ロマン・ポランスキー監督、チャールズ・ディケンズ原作の「オリバーツイスト」を見ようと決めました。


その前に腹ごしらえをと、ロッテリアに入り「チキン&グラタンセット」を食べながら時間を潰しました。さてちょうど時間と思い、チケットを買いに窓口に行ったところ、「オリバーツイスト」は6時30分の始まり、チケットの販売は終了していました。あれれ、もう始まってたよ。映画はみんな7時始まりかと勝手に思いこんでいたのが失敗でした。ということで、仕方がない次善の策として、7時から始まる「単騎、千里を走る。」という映画を観てきました。内容は、高倉健の出る親子の映画だとは聞いていましたが、どんな映画かはまったく判らないままに入ってしまいました。



実は、去年の初め頃から中国語の勉強をしているのですが、年末事情があって2ヶ月程休んでいたので、今年になってまた勉強に行き出したのですが、だいぶ遅れたことを実感していました。であるからして、「単騎、千里を走る。」は、てっきり中国映画だとばかり思いこんでいたので、この際中国語に浸る時間もいいかなという程度の思いでした。
「一年之計 在干春 一日之計 在干晨」
簡体字が出ないので、合っているかどうか判りませんが、おりしも中国では新年、立春を過ぎ、前日に習いたての中国のことわざです。



「単騎、千里を走る。」の物語は、以下の通りです。
高田剛一(高倉健)は、過去のいきさつから息子・健一との間に確執があり、10年もの間断絶が続いていた。息子の妻・理恵(寺島しのぶ)からの連絡で、健一の余命が短いことを知る剛一。いま、自分がしてやれることは、民俗学を研究する健一が1年前に中国で撮影することができなかった、李加民という俳優が踊る「単騎、千里を走る」を撮影するために剛一は一人中国へ旅立ちます。中国で多くの人と出会い、たくさんの想いに触れて剛一は、息子へのわだかまりが溶けていくのを感じます。



映画の題名「単騎、千里を走る」は、三国志の関羽にまつわる仮面劇からきているそうです。そういえばこの映画、「東京国際映画祭」のオープニングを飾っていたことを思い出しました。ほとんど高倉健の映画です。「不器用な男」の世界です。確かに演技もセリフも下手くそです。それが高倉健の持ち味なのでしょう。男の誠実な想いが、中国雲南省の素朴な村の、封建的な考え方を少しずつ動かし、人々の心を動かして行く、ということがじわじわと伝わってきます。



最後に判ったのが、息子健一役が中井貴一だったこと、声だけの出演でした。それにしても、ヤンヤン役の子役が素晴らしい。つまり、この映画、二重の意味の親と子と物語です。ひとつは剛一と健一、もうひとつは李加民とヤンヤンという男親と息子です。そこには女親の入り込む余地はまったくありません。寺島しのぶ、脇役でしたが、辛い思いがよく伝わってきました。そうか、剛一と健一の通訳の役割も担っていたんですね。中国のガイドと通訳、歯がゆい思いがしましたが、今考えるとこれもなるほどと思い至りました。


惜しむらくは、「携帯電話」や「デジカメ」の多用は、中国の素朴な村には、かつ、高倉健が操作するには、不釣り合いな小道具のような気がしました。