「没後50年 モーリス・ユトリロ展」を観た! | 三太・ケンチク・日記

「没後50年 モーリス・ユトリロ展」を観た!

酔い、惑い、描き、祈った。日本で最も人気のある画家のひとり、詩情あふれるパリの風景を描いたモーリス・ユトリロ。今年は、ユトリロの没後50年に当たります。本展では、特に評価の高い「白の時代」の作品を中心に、国内外から集められた初期から晩年までの作品80数点を展観。うち約20点は、国内の展覧会に初出展される作品です。新たなユトリロ像をご覧いただけるこの機会に、ぜひご来場ください。(高島屋HPより)



日本橋高島屋で開催されていた「没後50年 モーリス・ユトリロ展」へ、会期終了間際に行ってきました。デパートの絵画展は、会場が狭い、混んでいる、会期が短い、一歩出ると物産展などをやっていて雰囲気がよくない、等々で、いつもは避けています。しかし「ユトリロ」とあってはしかたがない、行かざるを得ません。ホント、日本人は「ユトリロ」が好きなんですね。と、人のことは言えません。僕も好きとは言えませんが、もう何回となく「ユトリロ」展を観ました。最近では、西新宿の高層ビルにある「安田火災東郷青児美術館」、今の「損保ジャパン東郷青児美術館」ですが、2002年4月から6月にかけて開催された「ユトリロ展」を観ています。



今回の「没後50年 モーリス・ユトリロ展」、NHKの新日曜美術館で「モンマルトルの孤独、モーリス・ユトリロ」と題して、浅田次郎がゲストで放映されました。また、「美の巨人たち」でも放映していました。「今日の一枚」では、今回のユトリロ展に出ていた「ラパン・アジル」を取り上げていました。ふたつとも偶然見ることができましたので、予備知識は完璧?で、その後、高島屋でのユトリロ展を観てきたというわけです。とはいえ、予備知識といっても、ユトリロについてはほとんど言い古されていることばかりです。


ユトリロを語るには、彼の母親をはずしては語れません。ルノアールやロートレックのモデルをしたこともあり、その後画家になった母親シュザンヌ・ヴァラドンとの関係に集約されます。シュザンヌも私生児として生まれ、ユトリロの実の父親もわかっていない私生児であること。恋多き女で、昼はアトリエ夜は男と街へ出る。そうした母親であったために、ユトリロは孤独に苛まれ酒に溺れ精神に異常をきたす。母親は絵筆とパレットをユトリロに与え、それが功を奏して天賦の才を発揮するキッカケになる。ユトリロが絵を描くことによって、母親の注意を引くことができたからであったという。その母親が、ユトリロの友人アンドレ・ユッテルと結婚することになり、ますます酒に溺れ、外出もままならなくなる。そのため、当時盛んに出始めた「絵葉書」を元に絵を描くようになる。



ユトリロの作品は、大きく3つの時代に分けられます。修業時代、黄土色と青を用い、線描を避け、絵の具を厚く塗る「モンマーニの時代」。最もユトリロらしい時代、石膏、チョーク、セメント、砂を混入した白を、卵の黄身を使ってキャンバスに定着した「白の時代」。そして最も長く続いた時代、色彩の幅が広がり、鮮やかな色調を用い、乾いたタッチの「色彩の時代」。今回の「ユトリロ展」も、このような時代区分に分けて、ほぼ80点の作品が展示してありました。思っていた以上にたくさんの作品でした。日本初の約20点とは、やはり新しい作品がほとんどのような気がしました。


ユトリロは、ほとんど独学で絵画を学びました。パリの、生粋の「モンマルトル」の画家でした。消滅してしまった過去の街を生き生きと描き残しました。ラパン・アジルムーラン・ド・ラ・ギャレット、そしてサクレクール寺院、等々、何度も同じテーマを繰り返し描きました。ロートレックの描く華やかなムーラン・ルージュは描かれません。ユトリロの絵には、人物はほとんど描かれていません。描かれているとしてもほとんどが後ろ向きです。帽子をかぶり、大きなお尻をしたご婦人たちです。これは、ユトリロの女性に対する嫌悪感の表れだとも言われています。


51歳で12歳年上の女性と結婚し、やっと平穏な日々を手に入れますが、結婚した3年後の1938年に母親が72歳で亡くなります。彼は祈りの生活を始めます。毎日、祭壇の前で数時間も祈っていたようです。その頃のパリには、ロシアからシャガールが、オランダからはモンドリアン、イタリアからはモジリアーニ、ポーランドからはキスリング、日本からは藤田嗣治がやって来ます。後年、「エコール・ド・パリ」と呼ばれる一群の「異邦人芸術家」たちです。また、キュビスム運動のピカソも挙げられます。しかし、そうした流れとはいっさい関わり合いを持たずに、ユトリロは自分の昔の作品を懐かしみ、模写したりして晩年を過ごします。


最晩年、パリ18区役所から委嘱されたユトリロの作品が2点、同区役所の「ユトリロの部屋」に展示されています。ひとつは、ふんわりと浮かんだ空の下をのんびりと歩いている人たちを描いたもの、もうひとつは、セーヌ河沿いに見えるエッフェル塔を描いたものです。ユトリロの作品としては、これといった特徴もなく、ごく平凡な作品です。しかし、なにもかも達観したような静謐な作品です。このふたつの作品は、パリの現実の街を描いた絵はなく、パリの街のどこにもない、ユトリロが最後にたどり着いた「心象風景」だったようです。この絵が完成した2ヶ月後、ユトリロは71歳で亡くなります。


・ユトリロ展、10/10 まで、その後、横浜高島屋(10/13-10/31)、
 京都、大阪、愛知へ巡回