藤原智美の「運転士」を読む | 三太・ケンチク・日記

藤原智美の「運転士」を読む


兵庫県尼崎市のJR福知山線で起きた快速電車の脱線事故は、伊丹駅から尼崎駅へ向かう途中で脱線しました。現場のカーブへ進入する直前に「いつもよりスピードが出ている」「車体が揺れている」などと車掌からJR西日本総合指令所に報告があったようです。「運転士」はまだ23歳の若者でした。兵庫県尼崎市のJR福知山線脱線事故で、JR西日本の垣内剛社長は31日、「安全性向上計画」を北側一雄国土交通相に提出しました。計画は、冒頭に「犠牲者の無念や遺族の心情を察すると胸が張り裂ける思いで、全社員初心に帰って取り組む」と、社長名の決意文を掲げました。


藤原智美の「運転士」を読み直してみたいと出して置いたのは、JR福知山線事故の前でした。どういう風の吹き回しか、虫が知らせたのか、いずれにせよ1992年に発行された古い本ですが、急に思い立って読んでみたいと思い、本棚の奥から引っぱり出しておきました。読み終わったのは今から2週間ほど前です。「運転士」の心境を思いながら読みましたから、JR福知山線の事故の後です。ただし、こちらは東京の「地下鉄」の、今でいうならば「東京メトロ」、その運転士の話です。「ヨヨギウエハラヨユギコウエンメイジジングウマエ・・・」と駅名を唱える場面が何回も出てきます。



出版社/著者からの内容紹介
地下世界の妖しい輝き!芥川賞受賞作品。トンネルの闇と駅の光が都市生活者の貌(かお)を照し出す。現代の深層を官能的に描く。時刻ヨーシ、方向切替ヨーシ、発車。電車はスピードを急速に上げ、間もなく軌道が緩やかに下り始め、徐々に傾斜がきつくなっていく。傾斜角1000分の35。都市と都市生活者の様々な貌(かお)をトンネルの闇と駅の輝きが怪しく繋ぐ。カミソリのように光る2本のレールの上に現代を官能的に描く。第107回芥川賞受賞。本書には、「運転士」のほか、「王を撃て」も収録。


著者の藤原智美は1955年福岡市生まれ。90年に「王を撃て」で小説家としてデビュー。92年に「運転士」で第107回芥川賞受賞。その後、小説創作のかたわらドキュメンタリー作品も手がける。著書に、住まいと家族関係を考察した「家をつくるということ」、その続編「家族をする家」、「子どもが生きるということ」などがあります。僕はこの「運転士」以外の小説作品はまったく知りません。芥川賞を受賞した「運転士」は、かなり高い評価だったように記憶しています。なにしろ10数年前の作品ですから、その時どんな評価だったか、細かいことは憶えていません。今回読み直してみて、「シュール」と言っていいか、「新感覚」と言っていいか、そんな感じの作品でした。もしかして、アルベール・カミユの「異邦人」を想起させるような作品です。


<ブレーキのショックは、風船が床に落ちて跳ね返るくらい滑らかなものでなければパーフェクトとはいえない>
彼はゲージを三に戻し、ブレーキの圧力を少し解除する。このタイミングこそがポイントだ。ゲージ四が長すぎると、電車は腰を撃たれた鹿のようにショックを受ける。その反対に短すぎると、今度は停車位置がずれて、ホームでいったん停車させた後、バックさせるというぶざまなことになってしまう。
<どっちにしてもそれは運転士としての最大の恥だ>


彼は帽子を取り、髪を後ろに掻き上げる。柔らかな髪、ツルンとした肌はまるで少年のようだ。25歳、運転歴1年。
すでに定時を60秒ほど超過。

<60秒かあ、けっこうキツイな>

彼はグングンとスピードを上げる。制限速度の75キロまでいっきに。しかし、それを1キロたりとも超えないように神経を集中させる。彼は制限速度に対して、ことのほか神経質だ。
<もしも制限速度をオーバーし、自動制動装置が働いて、勝手に急ブレーキなんかかけられてはたまらない。そんなことになったら、きっと死にたくなる>


JR西日本の運転士は、「時間」をコントロールするどころか、「時間」に追われながら日々の運転を行っていた。過密ダイヤに追われながら電車を走らす日々には、運転士の「誇り」などどこかへ置き去りにした結果、必然的に起きた大惨事だったようにも思われます。


「家をつくる」ということ
著者:藤原智美 プレジデント社発行
1997年12月6日発行 定価:1800円
芥川賞作家が書き下ろしたことが評判になったベストセラーですが、情報はミサワホームに頼っていたり、芥川賞作家といえども「」のことはこの程度しか書けないのかと思わざるを得ないほど、ありきたりな本です。決してお薦めの本ではありません、念のため。僕は間違って2冊も買ってしまいましたが。