アンブレラ、日本とアメリカ合衆国のためのジョイント・プロジェクト | 三太・ケンチク・日記

アンブレラ、日本とアメリカ合衆国のためのジョイント・プロジェクト

1991年10月9日、茨城、カリフォルニアの双方で3100本の傘の開花が日の出と共に開始された。この作業はクリストの立ち会いのもと、1880人の作業チームによってすすめられた。日本とアメリカ合衆国を結ぶこの一時的芸術作品は、日米の内陸部にある2つの谷に於ける生活様式や土地の利用方法の類似点、相違点を浮き彫りにするものである。日本の谷は全長19km、アメリカの谷は全長29kmである。

東京の北120kmに位置する日本側の谷は、茨城県内、国道349号線と里川に沿った地域、常陸太田市の北部から里美村の南部にかけてで、計459個人の所有地及び公共用地となっている。ロサンゼルスの北96kmに位置するアメリカの谷は、州間高速5号線とテホン・バスに沿った地域、ゴーマンの南からグレープバインにかけてあり、テホン牧場を始めとする計26地権者の所有地及び公共用地となっている。

以上が、「アンブレラプロジェクト」のクリスト側の公式なコメントの一部です。
水戸芸術館の主催で、傘を開く当日に合わせて「アンブレラ・バス見学会」が設定されました。その日、実際には1991年10月10日でしたけど、確か前日の台風の影響でその日は朝から雨降りでした。僕は朝早起きして水戸まで行ったのですが、バスに乗り込む際にアナウンスがあり、クリストからたった今連絡が入り、現地の作業環境が悪いので、今日は傘を開く作業は行わないと、その日の中止が知らされました。バスはそのまま現地まで行くとのことでしたが、僕はまた別の天気のいい日に来ようと、その日は水戸からとんぼ返りしました。

その後、僕1人で2回、もう1回は家族を連れて、「アンブレラ」は都合3回行ったことになります。そのうち1回は朝暗いうちから、というか、前日から現地入りして、東の空が明るくなり朝日が昇る頃から、夜、太陽が西に沈むまで、写真を撮りまくりました。と言っても、全長19kmもあり、しかも、山あり谷あり、川あり畑ありですから、車で走っては山へ登り、また走っては川のそばへと、北から南へと少しずつ移動して駆け回りました。撮影した写真が36枚撮りで8本です。すべて「スライド」なので、デジカメのように簡単にはブログに載せられないのが残念ですが。

アンブレラは、日本は青色、カリフォルニアは黄色に決められました。この色は、あとで見てみると、それぞれの地域の風景に見事にマッチしていましたね。傘や金物類は、すべて日本やアメリカ、ドイツ等々の11の工場で作られ、現地に運ばれたんですが、当然、傘は実験を重ね、開いた状態で秒速27m、閉じた状態で秒速50mの風に、余裕を持って耐えられるように作られています。掘削や基礎など専門的な仕事の箇所は、現地の建設会社が作業を担当しました。

そして、ここが凄い、アンブレラを短時間で一斉に開くために、アメリカでは960人、日本では920人の学生や農民、その他の人々が数人でチームを作り、数本を担当して作業に望みました。日本側の人たちは、前々日から学校の体育館などに寝泊まりして、簡単な訓練を受けてから実際の作業に加わりました。手伝ってくれた人たちには、クリストのサイン入りの白いヘルメットが貰えたようです。この一時的な芸術作品のための全費用2600万ドルは、これまでのプロジェクト同様、その資金はクリストの習作、ドローイング、コラージュ、スケールモデル、オリジナルリトグラフなどの売却によって調達されました。

最終的な日時は、稲刈りの時期や天気の長期予報などを参考にしながら決められたようですが、予測外の台風によって1日延びました。クリストの当初の目論見は、傘を同じ日に開く、つまり、アメリカと日本の時差を利用して、日本で開くのに立ち会ったら、すぐに成田へ向かい、飛行機に乗って、同じ日にカリフォルニアで傘の開くのに立ち会うというものでした。これは実現できませんでしたが、1991年10月10日から3週間、一般の道行く人々、車で通過する人々は、このアンブレラを眺めたり、近寄ったりして楽しむことができました。あちこちの傘の下で、家族連れがお弁当を食べてる光景が何ともほほえましく、それだけでも地域にとけ込んでいるなと思いました。もちろん幾つかの絶景が用意されていましたが、山の中、祠の横、畑の中、川の中、道路際、バス停横、民家の庭先、等々、それぞれの傘の置かれた地点が絵にになっていました。

撤去作業は3週間後、10月27日から始まり、使用した土地はすべてプロジェクト前の状態に戻されました。傘本体は分解され、すべての部品はリサイクルされました。見学参加者には、5cm四方の切れ端が配られました。当然、僕も青色と黄色の切れ端を持っています。
The Umbrellas Japan-USA 1984-91