①に引き続き…再生不良性貧血のこれまでの経過について書いていきます。


そんなこんなで、日常生活にまで影響してきている状況を心配した両親は、大学に入学して落ち着いた頃に、休学を見据えた治療専念を考えていました。

母が、地元の血液疾患の患者を家族に持つ人の集まり(ボランティア団体)に参加しており、
そこから名古屋第一赤十字病院に再生不良性貧血の治療で有名な先生がいると聞き、セカンドオピニオンの機会をいただきました。

そこではまず、家族内にドナー適合者がいれば移植する、いなければ免疫抑制療法をしてみる、という方針になりました。

残念ながら家族から適合者は見つからなかったので治療ということになり入院しましたが、初日に行った骨髄検査で、「骨髄異形成症候群」の兆候が見られました。
染色体異常のある細胞が見つかったのです。

そのため急遽、免疫抑制療法は効かないかもしれないということで中止となり、
名古屋の先生には他の医師の助言も聞きたいということで、次は石川の病院へさらにセカンドオピニオンで訪れることになりました。(病院名は忘れてしまいました…💦)

石川の病院では、骨髄異形成症候群まではいかないものの、それに近い状態にある再生不良性貧血であるという判断を頂きました。

その後、名古屋第一赤十字病院にて、とりあえず免疫抑制療法はせず、骨髄検査を行いながら様子を見ていくということになりました。

名古屋から私の暮らしているところは遠かった為、3ヶ月に一度、または半年に一度の通院でした。


そして私はここから、まさかの病状回復をします。


大学に入学した頃、自転車で登校も厳しかった私は、まず大学に行くための通学に、駅まで徒歩10分を歩くことになります。
ほとんど動くこともなかった私は、それだけでもひいふう…。
からの、大学内は広いので、よく歩きます。

私はその日常で、不健康そのものだった体を少しずつ動かすことで、少しずつ血の巡りが良くなっていきました。

更にそこで私の運動に拍車をかけたのが、部活動のマネージャーに所属したことです。
割と走ったりすることも多く、高校時代を考えると私の中でも一つの挑戦でした。
でも、部活動の先輩方の人柄に惹かれ…どうしても入りたい、と思い、入部しました。


このことが、それまでの私を大きく変えました。


時々貧血を起こしながらも、走ったり、あちこち動き回り、しっかり食べてしっかり寝る…そんな生活を過ごしていると、
大学入学時に血小板1万台、ヘモグロビン7.0台だった数値が、大学2年になる頃には血小板はなんとか2万台、ヘモグロビンはなんと10まで上がるようになりした。
先生も驚きの結果でした。

大学卒業時には、血小板は3万台にまで回復、ヘモグロビンはもはや普通の人と同じ、12以上になりました。


私が高校の時と変わったことは、薬を飲んだわけでもなく、ただしっかり寝て食べて、よく動いたこと、これだけでした。
これだけで私は、自転車も漕げなかった体から、運動場を走り回り、5キロ近くを自転車で走り、誰も私を病気なんて思わないような体になりました。


そして、大学1年生の時に免疫療法に移る前の確認の骨髄検査で骨髄異形成症候群の傾向を指摘されたことについても、それ以降何度も骨髄検査を受けましたが、染色体異常が見られたのはなぜかその1年生の時以来、一度もありませんでした。


母は、あの時を振り返り、何度も私に
「あの時にもし染色体異常が見つかっていなかったら、大変な治療を受けていた。あの一回だけに異常があって、今はもうないなんて。本当に奇跡にしか思えないね。」と言います。
私も本当に、そう思います。

そして名古屋の先生も、あの時治療をしなかったことは正しい判断だった、と何度もおっしゃっていました。


大学3年以降からは、染色体異常が見られず、特に治療も必要なくなった私は、年一回の骨髄検査と、3ヶ月に一回の血液検査だけの経過観察となりました。


この経験を通して私は、やはり毎日健康に過ごすことの大切さを身をもって感じました。


少し長くなりましたが、
次の投稿に現在の状態を書かせていただきます。


最後までご覧いただき、ありがとうございます。