ここでは私の再生不良貧血のこれまでの経過についてお話しようと思います。


最初の投稿にも記しましたが、6歳の時に後天性の再生不良性貧血と診断されました。

アザができやすく、行きつけの小児科の先生に大学病院での検査を勧められたことがきっかけでした。


その頃の私は、血小板の数値が6万とかなり低く
その他の値は普通の人よりは少ないものの、軽症程度でした。


少しずつ、少しずつ、血小板の値は下がっていき、高校に上がる頃には2万を切ることも増えてきました。

14歳で初潮を迎えた時は生理の出血が激しく、1ヶ月間止まらず貧血になり、血小板と赤血球の輸血のために入院しました。
おそらくその時はヘモグロビンの値は4.0程だったと思います。
気持ち悪くて動けなくなってしまったことを今でも覚えています……。

その当時、血小板の値は3万〜4万程で、生理の出血が止まらなくなるほどではなく、おそらく排卵がうまく起こらず、内膜だけがどんどん厚くなり生理が止まらない、ということでした。


そこから私は、不妊治療をはじめる27歳まで、ピルを飲み続けることになります。


ただ、その間に何回か、排卵を確認するためにピルを中断したこともありました。
…が、排卵を確認する前に多すぎる出血に私が耐えられず……
輸血が必要になり1週間ほど入院する、ということが一度。(その時の血小板は1万台、ヘモグロビンの数値は約5.0で両方輸血しました)

そして、ヘモグロビンが6.0を切りかけた頃に輸血の回数を減らすために輸血はせず、自宅療養2週間になったことが一度ありました。
この時は輸血せずに自力で上がるのを待った為、その間は本当にしんどかったです…。


また高校時代は、私学の進学校で、自転車で15分ほどのところに通っていましたが、高校3年になる頃には自転車での通学が難しくなっていました。

その時の私の状況は、血小板が1万台、そしてヘモグロビンは6.0台でした。
今から振り返っても、よくそんな体で生活していたな…と思います。おそらく、貧血に体が慣れていたということですが。

階段は数段登るだけで息が上がる、たちくらみ、自転車で登校すると体がしびれて気分が悪くなり…保健室で休む、というような状態でした。

更に進学校でお嬢様高校だった為、運動(体育)もほとんどしない、深夜まで勉強する、お風呂もシャワーで済ませる、という不健康そのものの生活だったことも、私の症状の悪化を加速させていました。



少し長くなりますので、高校卒業後のお話は
次の投稿に致します🌱