MJテープ | ぼたんのひとりごと

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マイケル・ジャクソンについて語る

MJテープというものあるらしい。ユダヤ教ラビ、シュムリとの対話が長時間にわたり記録されたテープだという。アメリカでは、シュムリが出版している本、それを日本のマイケルファンが訳してくださるそうです。

その趣旨や、シュムリによる前書きを訳している時点で、私でもわかるシュムリの矛盾点を当然のごとくマイケルファンである訳者のチーム方々も指摘しながら、注釈を入れながら訳されている。”MJテープではなく、シュムリテープだ!”と言いたくなるほどのテープであるらしく、怒りが垣間見えますが、それでもマイケルの言葉があるので訳されるそうです。


アメリカで放映されたニュースの中で、シュムリが出演しながら、録音されたマイケルの声を少し流しているyou tubeがありましたが、マイケルの声であるのは本当かもしれません。でもその話し方がとてもとても不自然です。今までのマイケルのインタビュー番組の声からも、その言葉の流れ、話し方のリズムがとてもマイケルらしくない。

ましてや本人シュムリはマイケルと友達だというがごとく話していますが、生前のマイケルの発言、行動からして、ユダヤ教のラビと話すときに、親兄弟や子供達と話すような話し方にはなり得ない。内心は別であっても、マイケルはよほど相手が失礼な質問をしないかぎり、相手に対し敬意をあらわす人であるのに、たとえインタビュー時間が相手の家であったりしても、長時間に及んでも(一日の録音ではないようですが)話し方のリズムがとても不自然。

このMJテープを基にしたシュムリの本を訳されている方達は、長い長い前書きにうんざりしながらでも、MJファンなら誰でもが気が付くような矛盾点がみつかっても、訳してくださろうとしているのは、MJテープの存在を信用しているからでしょう。


では、そのMJテープが偽物だったら?とは、なぜ考えられないのでしょうか。
それはなぜなのか?、1.シュムリの肩書き 2.MJの声だと確信できるテープを少し聴いた。

その二つが大きいと私は考えます。まず、1.シュムリの肩書きは、私が信用するには程遠い肩書きです。某国営放送でケンブリッジ大学の教授が、マイケルについて論じていましたが、その他の人についても?????と思うような解説でした。肩書きが多い人ほど名誉欲が旺盛な人、というのが私の経験からくる認識です。それになぜマイケルが、スピルバーグからも非難されるほどの言論であった人種、宗教のラビとそのように最初から心を許して自分の内なる部分を話すでしょうか?

2.のMJの声について
これは、911事件の時にハイジャックされた飛行機から、乗客が家に電話をかけた記録があると何人かの人たちの証言もありました、留守番電話の肉声テープが公開されたりしましたし、その電話で直に妻と話した、という人もテレビの番組の中で証言しました。しかし、その声は本人の声であっても、危機的な状況にある飛行機から電話をかけたというものとは考えにくいもの。決定的なことは2001年9月の時点で、飛行機から地上に携帯電話をかけて繋がる技術はなかった!というものでした。証言者はその後、すぐに飛行機の備え付け電話からコレクトコールで自宅に電話をかけてきた、など証言が二転三転しました。しかし、音声合成の技術は、既にあったのです。当人の声があれば、如何様にでもMJテープは制作できます。


本人の生前の録音したテープがあれば、その声で話の内容を事細かに(単語単位ではなく)制作できる技術は2001年に既に出来上がっていました。このシュムリの長い長い前書きからバシールの存在は、ユリ・ゲラーとのつながりで知っていたようですし、そのバシールとのインタビューとシュムリとの対話の30時間にも及ぶ録音があるということは、どんな話の内容でもマイケルの声を使って創作ができることが可能である、ということです。



なぜ私はそのテープを疑うのか?

マイケルとシュムリが話したことは事実でしょう。では、なぜ、あの時期にマイケルとシュムリが会ったのか?あのペテン師のユリ・ゲラーがマイケルと引き合わせたようで、なぜそんなことをしたのか?ユリとシュムリ、どちらがどういう形でマイケルに接近を試みたのか、それはどちらでもいいですが、時期的にみて、原因は、あのスピルバーグからも非難されるマイケルの作品にあるのでしょう。(私は、あの類のものはマイケルのほかの作品にもあった、と確信しています。)
そしてシュムリは、来日もしたことがあるあのペテン師ユリ・ゲラーを誉め、キャサリンママ本を読む限り、とてもとてもエホバの証人とは考えられない彼女、ステージママそのもののキャサリンママを、信心深い人、と評価しています。これだけを見ても、人物を見抜く能力があるかどうかも疑われますそのうえ重要な人物、アルビーゾ少年にネバーランドで会った、と書いている時期でさえも違って書いていることに自分で気が付かないシュムリ、こんな人の言うことを信じることができますか?


とにかく前回のキャサリン裁判でも、この本の和訳にしても、日本のマイケルファンを使って、私達、日本のファンにマイケルの負のイメージをなんとか届けたい、洗脳したい、と考えられているようですので、私は逆に神様が、悪の総出演をより解りやすく説明してくださるもの、と、ありがたくこの馬鹿らしいシュムリの主張の和訳を心待ちにして読んでみようと考えています。