投稿が遅れてしまい、申し訳ございません。7/27担当だった林です。すでに7/31担当の方が投稿しておられるのを見て、大急ぎで書いているところであります。
この日は「経正」の合わせ、各自練習の後に仕舞合わせ、残った時間で鼓の練習といったスケジュールでした。いよいよ合宿に向けて本格的に謡を覚えたり鼓を打つタイミングを把握しないといけないのですが、両方とも未だ満足できる領域には達しておりません。仕舞の方は動作こそ覚えましたが、位置調整や各動作のタイミングなど課題は多くあります。家でもできる限りの練習はしていますが、先に挙げた2つはどうしても稽古でないと練習できないところですので、日々の練習を大事にしていきたいと思います。
さて、私事ではありますが最近民俗学系の本を読むことにはまっておりまして、能とも接点のあるお話が度々あります。その中で気になった「枝」、「花」についての考えを、短いですがここに書きたいと思います。文章を読んだあとに思い浮かべた初学者の想像でありますので、学術的な意義はあまりないものですが、お付き合いいただけると幸いです。
なぜそれを取り上げるのかといいますと、能にも「枝」、「花」というものが出てくるからであります。世阿弥いわく(原文は忘れてしまいましたが)舞姫、狂女のものまね(物学)に関しまして、扇に加えて「かざし」(季節の木の枝や花など)を持つということがあるそうです。能は季節によって演目が決められていたという話ですから、それに基づいて季節のものを持っていたということなのでしょう。
他にもそういった例は出てきます。折口信夫によれば「ほかひびと」(これはあまり良い言い方ではないそうですが、元の言葉に従います)と呼ばれる、春(正確には正月)を告げて祝福する人々があったそうです。その派生として後世に「懸想文売り」と呼ばれる人が、春を告げてまわった昔の名残か梅の花を持って歩いていたということです。「花」でいえば物忌みの過程で山籠もりする女子が帰りにツツジの花を髪に挿して下山するといった例があります。
数えればきりがないのでこの辺にとどめておきますが、とにかく何らかの神事の中で枝や花といったものが非常に重要な役割を持っていたのがわかります。能の中の狂女や舞姫、「ほかひびと」(おそらくは山人や乞食の類であると折口は語っているのですが)や物忌みによって身を清める人々などは「神」の領域に近いものです。なぜ枝や花がその役割に選ばれたのか、前置きが長くなりましたが2つほど仮説を挙げてみようと思います。
1つ目は「採り物」という、神事における道具の関係性です。神楽や田楽には、神様を演じる際に、その神様を象徴する特定のものを持つということがあったそうです。能の扇もその名残りだと思われますが、それが「採り物」と呼ばれ、鉾や剣といった武器のほかに榊の枝、葛などもあったそうです。この「神性」を表すものとしての枝や花が構成になって季節を示すものとしてのイメージを強く帯びるようになったのではないかというわけです。
また、そういった神事に使われる武器を用意できない場合に枝などで代用したという事もあったのではないでしょうか。「ちまきほこ」という祇園のお守りがありますが、起源をたどるとアメノウズメノミコトに遡ります。茅の葉で作った鉾でもって地面を掘る真似をして踊ったという事です。神話は後世になって神事のルーツを説明するという役割もあるそうですから、武器を模すうえで植物を使用するというのは割合にあったのかもしれません。
2つ目は神事からは少し離れた視点です。植物、特に「花」には「にほひ」が存在します。この「にほひ」というのは、現代では嗅覚的なものにとどまっていますが古典では視覚的な意味も込められています。というよりそういった特定の感覚器官にとらわれず、花や人のから漂ってくるオーラといったような解釈ができると思います。今では花に含まれる匂いや色、さらには味などを要素ごとに抽出することができますが、昔はそれらを再現するには植物を直接使用するしか方法がなかったので、それらの要素が混然一体のものとしてあったということです。衣に「にほひ」を移すという事は色味にとどまらず、衣全体にその染色の対象となった植物をまとうといったことだったのです。
こういったことから、植物には特定のオーラ、延いては霊的な何かがあったのではないかと思うわけです。衣の染色などもそうですが、和歌を書いた紙にも植物で染色したり、あるいは和歌と一緒に木の枝や花を添えて相手に送ったりします。勿論ただの飾りではなく、そこには文の後ろに隠された意味や雰囲気といったものを表すために使われたのです。少々話が脱線しましたが、季節の枝を持つ狂女や懸想文売り、躑躅を挿す女子といった人々も、こういった花の裏に潜む自然の霊的なものを宿した存在としてあったのではないでしょうか。神は多く自然に宿りますので、そうしたものをつける彼ら彼女らは神と人間の中間者といった役割になったのかもしれません。
以上が2つの仮説でした。他にも書きたいことなどはありますが、十分書きすさんだと思いますので、この辺で締めようかなと思います。長々と論じてきましたが、結局歴史の起こり、殊に芸道や神事の解釈に至るとあくまで途方もない推測に身をゆだねるしかありません。冒頭で注意喚起いたしましたが、今述べた事柄もあくまで事実ではなく「そうあってほしい」ロマンです。しかしこういった神話や文学に言づけた歴史解釈も、(学術的な歴史とは別に)必要なのかなと思います。
最後言い訳がましくなってしまいましたが、書きたいことはこれで終わりです。支離滅裂な箇所、論理の飛躍、誤字・脱字などあったかと思いますが、最後までご高覧いただきありがとうございました。参考文献など、必要かどうかはわかりませんが一応載せておきます。
参考文献
折口信夫全集17「春来る鬼・仇討ちのふおくろあ」中央公論社(初版1996年)
折口信夫全集21「日本芸能史六講」中央公論社(初版1996年)
大岡信著「詩人・菅原道真 うつしの美学」岩波文庫(初版2020年)