こんにちは、鈴木()です。
今日は、仕舞と謡と連調のお稽古をしました。
仕舞を覚えるのがはやくてすげえなあと思います。
謡のほうでは、秋の明生会にむけて、本格的に地謡に入り、大ノリや修羅ノリノリを着実に身につけていてすげえなあと思いました。
合宿まで1ヶ月をきったので、詞章と手付けを暗記していきたいです。
今回こそは計画的に!
部会では、11月の「仙臺能」のことも話題に上りました。
今年は『松風』が観られるようです。
「松」で思い出したんですけど、先日といってもこの前の春休み、台原の「瞑想の松」に行ってきました。
樹齢600年以上。明治時代の文芸評論家・高山樗牛がここで瞑想をしていたので、「瞑想の松」という名前がついたそうです。
樗牛くん、生まれは山形羽前の鶴岡、旧制二高で勉強するため仙台に住んでいました。
下宿先の娘に恋するんですが、この娘にはすでに許婚がいたものですから、樗牛とは一緒になれない。
それで、「あーあ、やんなっちゃう♡」と言って(ないと思いますけど)、足繁く松に通って瞑想していたそうです。
瞑想で解決するくらいなら最初から悩まなければいいのに。
ところで、仙台の六芒星をご存じですか…?
仙台城本丸を起点として、仙台の主要寺社(青葉神社、榴ヶ岡天満宮、愛宕神社、大崎八幡宮、仙台東照宮)を線で結ぶと六芒星が現れます。
これは、陰陽思想に由来するもので、魑魅魍魎の侵入を防ぐ魔除けの役割がありました。
「瞑想の松」は六芒星の外側なんですよ。しかも北東の仙台東照宮のはずれという位置。
東洋・日本美術史の授業で先生が「ンっ!北東とは鬼門であり、鬼門には薬師如来を設置するのじゃ!」といっていたのですが、東照宮に祀られている家康(東照権現)の本地仏は薬師如来です。
つまり、仙台もまた、薬師如来に北東を護られているのです。
話を戻すと、「瞑想の松」は仙台城下のはずれにあったのです。
今じゃ地下鉄もあるし、バスも通っているし、幹線道路もあるしで、仙台の中心に近い台原ですが、明治時代も依然として仙台のはずれに違いなかった台原に、なぜ樗牛が通っていたのか、なぜその松がよかったのか、なぜそれじゃないといけなかったのか、気になります。
ごにょごにょ言いましたが、ほとんど誰も立ち寄らないし、見晴らしがいいので、ぜひ秋、涼しくなったら散歩に行きましょう。