担当の和田です。もはやお決まりかもしれませんが、深夜にこんにちはです。

 

今日は人数もほぼ揃い、仕舞、連調、謡練習を行いました。「国栖」のお稽古を始めて3ヶ月ほどになりますが、序破急のあるハコビや所作のキレのようなものがまだまだわかりません。各々、春の会に向けて完成を定めていっているように感じました。

 

さて、皆さん書きたいことを好きに書いていっているようなので、私は倫理学の授業で扱った「本当の愛に理由はいらないのか?」1をまとめ直して復習しようと思います。「倫理ってどんなことやってるの」と聞かれては明確に答えられないというのをまあよく繰り返しているので、興味のある方は少しご覧になってください。

 

 

 エミリー・ブロンテの小説『嵐が丘』には、愛について読者に考えさせることで有名な、キャサリンとネリーの問答と言われる一幕があります。ここでは愛についての2つの仮説が提示されていると言えます。1つ目は、その人を愛している理由としてその人の何らかの性質を挙げたとすると、その人でなくても良いことになる、というものです。例えばお金持ちだとか容姿が優れているだとかいった、何らかの性質によってその人への愛を説明しようとすると、それを上回る性質を持った人が現れたときに、他ならぬその人でなくてはならない理由が説明できなくなるということです。2つ目の仮説は、その人を愛している時、自分とその人の利益や感情が混然一体としているように思える、というものです。その人を愛するようになってからは、自分とその人とを分つことができない状態で物事を考えるようになるということです。

 

 1つ目の仮説からは、「『この人が好き』とはどういうことか」というテーマを導くことができ、さらに深く考えられるでしょう。「この人が好き」「この人だから好き」というふうに、恋人がその人でなくてはならないということについて果たして論理的に説明できるのか、というテーマです。皆さんはどのように考えるでしょうか。そもそも、なぜその人が好きなのか? その人でなくてはいけなかったのか? そうとも言い切れないものなのではないか、という気がしてきます。その上で、それでもこの人と決めて大切にするその覚悟に、他の情とは異なる尊さのようなものがあるのではないでしょうか。

 

 ひとまず先の仮説について検討すると、2人で過ごした時間や出来事によって、その人に対してしか生じない独自の愛が育まれるということが考えられます。個人的には、納得のいく説明だと思います。その人のことを気に掛けるようになったきっかけが、見た目や趣味などの「性質」だったとしても、そうして一緒に過ごすようになる中で、彼らだけが共有する経験や、気持ちの通じ合う瞬間が生まれてくると言えるでしょう。

 

 2つ目の仮説については、相手と一体になっているとは言えない状況も挙げられるでしょう。例えば、相手を自分の思い通りにしたがるといった意味で、自他の区別がついていない場合とはどう異なると言えるでしょうか。特に恋愛や家族関係においては、支配が生まれやすく、愛情に化けていてもそれとは程遠い束縛、否定、脅しなどによって相手を所有物のように扱っている場合があります。また、相手を喜ばせたいと思う時にも、良い意味で相手とは別のことを考えていて、一体になっているとは言えません。

 

 ここで、ノースカロライナ大学のベンジャミン・バグリーによると、恋人同士の関係はジャズなどの即興演奏の状況に置き換えられると言います。即興演奏では、メンバー同士は演奏の価値と解釈を共有する仲間として互いを尊重し合っていて、あるメンバーが状況に応じて演奏を変えると、他のメンバーはそれに応じて適切な演奏へと調整していきます。即興演奏モデルは、恋人同士とは互いを尊重し合い、互いの行動により、自分を理解するのと同時に相手のことも理解するような関係だと示しているのです。

 

 この即興演奏モデルから、改めて2つ目の仮説を考えると、恋人同士の混然一体となっているという状態がよりわかりやすくなります。相手を喜ばせようとしてプレゼントを考えている時など、相手のためを考えているときにも、それを楽しんでいる自分を感じられるのです。こう考えると、自分が変わることを微塵も考えず、相手のことばかりを否定し自分の思い通りに変えようとする支配関係とは、全く異なるということがよくわかります。また、1つ目の仮説に対しては、その人を愛する前から見えていた性質ではなく、その人と互いを理解し合う中で見えてくる性質によって、他ならぬその人への愛を実感することもあると言えるかもしれません。

 

 

授業で扱った要約を振り返りながら、とりとめのない考えを織り交ぜて綴ってきました。

こういったことを授業で扱っていると聞くと、なんでこんなことを大真面目に…というふうにうんざりする人もいると思います。私自身に対してもどこかでそう思っています。しかし、自分の行動について、なぜこんなことをしているのだろうとふと立ち止まって考えたくなることはありませんか? こういった恋愛などの人間の性質に関わることを、自分ごとでなく、一般的に考えようとするのが倫理学なのかなと理解した時、面白い! と思ったので、私は倫理学専修に所属しています。

 

いいかげん眠いというわけでもないのですが、明日も朝から予定があったというのを忘れており、冷や汗をかいています。寝なければ。今眠くないけど明日の昼間は絶対に眠い。うんざりです。今年の抱負は生活リズムの安定だったはず。長期的にしゃんとしろ、自分。

 

 

【参考文献】

1)長門祐介「本当の愛に理由はいらないのか?」稲岡大志・長岡裕介・森功次・朱喜哲編『世界最先端の研究が教えるすごい哲学』総合法令出版,2022, pp.48-51.