西郷隆盛の座右の銘「敬天愛人」について、天を敬い、人を愛するというおおよそ武士の言葉にふさわしくないような言葉。この言葉がキリスト教由来と感じる人も多い。また、そのように言う人もいる。それらの人の出発点は、言葉から、キリスト教を結び付け、その理由を探したものではないかと思われます。そして、まことしやかに、明治5大教育家の一人、キリスト教徒として中村正直に白羽の矢が立った。もっとも有名な正直の訳書『西方立志編』の序文に「敬天愛人」の言葉が出てくるというわけだ。これだ!!って飛びついた。
しかし、中村は、その前に『敬天愛人説』という文章を明治元年に書いている。それの存在すら知らないで、西郷が何やらという人がいます。当然追及されても、答えられず、その答えは、中村の書いた『敬天愛人説』とは別の、中村正直の「敬天愛人」です。@@;となる。本当にそう答えたんだからね。びっくり!あまり知られていませんが、最近の発見で、この中村正直の『敬天愛人説」上が、江戸後期の儒者貝原益軒の『初学知要』からの引用であったことが発表されています。 つまり、丸々儒教の教えを上巻では記しています。なぜ、中村が『初学知要』を焼き直したか?それには西洋を見てきた中村にはキリスト教の影響があったかと思われますが、読んだ人々にとっては丸々儒教の教えそのもの。
内容も経書からの教えになっています。
仲虺之誥曰、欽天道、永保天命。
書經の仲虺(ちゆうき)之誥(かう)に、謹んで天道をあがめれば、命を長く保つとあり、
説命曰、明王奉若天道
同じく、説命の項目には、賢い王は天道を敬うと言っている。
詩曰、敬天之怒、罔敢戯豫。
そして、詩経では、天の怒りを敬い、努めてふざけあそびを慎むべきであるとも、
書經とか、詩経とか儒教の経書である四書五経から述べている内容なので、どう見てもこれは儒教の教えという事になります。
中村正直 明治元年『敬天愛人説』
貝原益軒元禄10『初学知要』事天の項
読み下しが知りたい方は。