「盗用ではないかとのご指摘ですが、具体的に、どの

箇所でしょうか。もし、そうであるなら、次の版で、訂

正させていただきたいと思います。」 by守部氏

 

 との著者からの回答にはありましたが、本人がそれは良く知っているはずですよね。そんな盗用の疑いをかけられたなら、断固として抗議するべきですし、そんな「疑念は一ミリもない失礼極まりない」と言うべきです。それを、次の版で訂正するとは?罪の

 

意識のかけらもないのかな?問題は内容なのですが。

 

 さて、私からの、本の内容についての質問は、7項目ありました。
まず、この本の内容で一番ひどいことから説明します。長くなりますが、途中であきらめずにがんばってくださ

い。

 

 

5、閑愁禄の誤解

奈良宣教協力会での講演会の後質問したとき、

著者:「『閑愁禄』と言う本で坂本竜馬もキリスト教を守れと言っている」

私:『閑愁禄』は長岡謙吉の著作で「仏法護国論」の本ですよね。

著者:「『閑愁禄』で刑法で取り締まってはならないと書いてありますす。みんな聖書の真理に触れていたのです。」

私:(えー、そんなことかいてあったっけか)「そうでしたか、しかし・・・」との会話がありました。

 そのとき、『閑愁禄』の内容をさだかには思い出せませんでしたので、それ以上そのことに触れませんでしたが、この本にも書いてありました。「坂本竜馬がキリシタンを守ろうとしていたと」
 それで、家に帰ってから『閑愁禄』を読み返してびっくり!!
 本当に書いてあるじゃないの!!
 しかし、とんだ誤解をというか、「この人、本当にこれ読んだの」ってあきれてしまいました!!
 ですから読んでくださる皆さんには、簡単にyoutubeの現代文の朗読を参考にしてもらいたい。


https://www.youtube.com/watch?v=N8RtYkPaPP4

 

ですから、こうメールで送りました。

~『閑愁禄』は長岡謙吉の著作で、海援隊から出版された、護法書の類です。当時の「仏法護国論」を簡潔に表している大変読みやすい書物です。

その背景を説明いたしますと、~中略~

 著者は、文中の「民法や刑法によって取り締まることは効果が無い」という言葉だけを拾って、その内容を、意識的に歪曲しています。
もしかしたら、内容を理解できなかったのかもしれませんが、とにかく、『閑愁禄』において、坂本竜馬が「キリシタンを弾圧してはならない」と言っているということは、まったくの誤理解であり、たとえて言うならば、詩編第53章1節「愚か者は心の中で、『神はいない』と言っている」と言う言葉から、聖書に「神はいないと書いてある。」といって神否定の根拠にしているようなものです。

これは、事実を捻じ曲げようとする悪意が感じられます。・・・・・終わり。

そうしたら、著者からの回答はこうです。

❺「閑愁録」の問題についてですが、「・・龍馬は、暗殺される前に、閑愁録という宗教の本を海援隊から出しているのです。この内容は、浦上村のキリシタンについて、その信仰の内容などにふれていますが、結論は、キリシタンを決して弾圧してはならないと警告しています」(96ページ)の箇所のことと思われます。実は、「閑愁録・護教」については、拙著「龍馬の夢」に原文と現代文を併記して、くわしく解説させていただきました。今、その本が手元にないため、くわしいことは言えませんが、冒頭で、浦上村のキリシタンのことを取り上げ、それが愚民たちを惑わしていると書き、さらに、比較的正しくキリスト教の教理の中心を説明したあと、このような説はとても信じることはできない、としています。ここまでを読むと、確かに、キリスト教への攻撃とみられても仕方ありませんが、そのあと、このキリシタンを決して法律で罰してはならないという文言があり、この論理の飛躍はなんだということになります。もちろん、後半部分は、堕落した日本の仏教の再興を提唱していることから、坂本龍馬は熱心な仏教徒だったという説も生まれ、そのような本も出ていることは存じています。
私は、この著者がかつてキリシタンの嫌疑をかけられた長岡謙吉であることに注目しています。文章を読むとキリスト教の教義にもかなり精通していたことがわかります。信仰は失っていたかもしれませんが、キリスト教徒が激しく迫害されていたことに同情があったとも考えられます。しかし、世は、キリシタン禁制の時代です。キリスト教を評価することは出来ないでしょう。ただ、迫害は食い止めたいという思いが、法律で、決して罰してはならないという言葉になったのではと推察します。

 その内容を見て、またもや椅子から転げ落ちそうになるほどびっくり!!
 
 「『閑愁録・護教』については、拙著『龍馬の夢』に原文と現代文を併記して、くわしく解説させていただきました。

というではありませんか!!まさか、読んでいて、それでなおそんな理解をして、そして、本になっているとは。
 
 ですから、次のようにクリスチャン新聞の方にメールしました。

~返事いただいてありがとうございます。お忙しい中、お手間を取らせて申し訳なく思います。
私といたしましては、貴兄の証を生駒めぐみ教会にてお聞かせいただいた内容、文書伝道の継続と必要性を新たに考えさせられ、神様に感謝いたしました。

 さて、先の文章は書籍の編集のかたがたにも見ていただいているということですので、改めて対応いただいたことを感謝いたします。
 
 しかし、守部様よりの返答文書の中に、

「実は、『閑愁録・護教』については、拙著『龍馬の夢』に原文と現代文を併記して、くわしく解説させていただきました。 」

 という文章に大変驚きました。『閑愁録』についての著者の解説がついた本があるという事、まったく知りませんでしたし、その内容をご存知で現代文にもしているということに驚きました。そして、その内容が

「信仰は失っていたかもしれませんが、キリスト教徒が激しく迫害されていたことに同情があったとも考えられます。しかし、世は、キリシタン禁制の時代です。キリスト教を評価することは出来ないでしょう。ただ、迫害は食い止めたいという思いが、法律で、決して罰してはならないという言葉になったのではと推察します。」

 と書いてあることに再び驚きました。

 このたび、いのちのことば社におきましては、それまでの新改訳を新たに精査した聖書を出版されました。高度な文章を精査する能力をお持ちの出版社であるはずと思っています。
 しかし、私にとって、『閑愁録』についてそのような理解は常識的ではありませんでしたので、どうしてそれが出版されているのかが不思議に思われました。

 出版までに、プロの編集者の幾人かの人々が目を通し、また広く日本に出版され、多くのとびとの目に触れられている。
 そして、驚いているのが私一人という事が、まことに不思議です。もしや、私の理解に誤りがあるならばお教えくだされば感謝です。
 

A、現在までの研究者の見解
 
 まず、幕末期、『閑愁録』に類似する書物は多数存在します。
それら、「護法書」と呼ばれる書籍群に対する研究書『明治佛教全集護法編』には、護法篇関係書目のリストの中に、『閑愁録』が、「概説的なもの」の一つとしてあげられあます。 
 それら、すべてを読めとは言いませんが、これら「護法書」の趣旨として、それらの一つを手にとるのも良いと思われます。
また上記にした『同書』の徳重浅吉氏の解説、「護法編総説-護法運動の概論-」を読めば、その理解も進むでしょう。それらは、国会図書館のデジタル文書となっていますので簡単に読むことが出来ます。

また、『閑愁録』については、『日本思想闘諍史料』に、破提宇子1巻(ハビアン) 破吉利支丹1巻(鈴木正三) 妙貞問答2巻(ハビアン) 排耶蘇1巻(林道春)などの排耶書と呼ばれる反キリスト教の文章と共に掲載されています。
このように、排邪論、または護法論の研究者は、『閑愁録』を「護法書」、「排耶書」に位置づけています。
それは、『閑愁録』の本文の前には白抜きで『護法』と大きく印刷されており、それが、仏法を守る「護法」を主願とした書物であることは明らかです。
また、それに続いて印刷されている『金湯』とは金城湯池の訳であり、「国防」を意味する言葉です。
前の文章で記述したように、『閑愁録』は「仏法護国論」を簡潔に表している書物だということが常識的であります。
「仏法護国論」とは、仏法によって国を守り、「教を以って、教を討て」という国を守るために、仏教を用いてキリスト教を排除せよという考えです。

 

B、内容の解釈について

 

さて、著者が問題としている部分、私が、

詩編第53章1節「愚か者は心の中で、『神はいない』と言っている」と言う言葉から、聖書に「神はいないと書いてある。」といって神否定の根拠にしているようなものです。
 
 と書いた部分についてですが、『閑愁録』には

 「故に日用条理政法刑罰を以って。決して禁制するへからさる也」

と書いてあります。そこだけを読めば、政法や刑罰では決して禁じてはならないと言うことにも見えますが、しかし、その最初の「ゆえに」と言う言葉は何をさしているのでしょうか。

 その前の文章で、守部氏が「比較的正しくキリスト教の教理の中心を説明」と言っている部分を見てみると、

「耶蘇自ら磔殺せられ、
(イエス自ら十字架にかかり)
万民の罪障を償ひ天帝に謝せし説を主張するか故に、
(万民の罪をつぐない、神に謝罪することを主張するゆえに)
一たひこの教えを奉するものは。
(一度、キリスト教を信じたものは)
極刑にしょせらるるを以って。
(死刑にされることを)
己れか栄えとす
(誇らしく思う)。
甚しき者は好んで十字架に懸て死す者あり。
(顕著なものは、自ら進んで、十字架刑にかかって死ぬものもいる)
しかしその教えたるや。詭謠揺巧。
(しかし、その教えは詭弁悠揚巧み) 
到らさる処なくその説談する
(終始うまく説明する)
所因果応報天道地獄の説と似てことなる者にめ。
(それは因果応報、天道地獄の教えと似ているようでまったく違う)
只人欲の向かう所によりて几庸を狐惑す
(ただ、人の望むことを言って、無学なものを誘惑している)。」
 
この部分が「比較的正しくキリスト教の教理の中心を説明」というのに疑問を感じますが、続きとして、「だから、常識や刑罰では、決して禁じられない」と言っています。
その理由は、「そんなもので罰しても無駄だから」ということです。
そして、続きを見ると

「元亀天正の際。(1570-1593年の際)
その宗旨を奉ずる者を捕らえて厳科に処する事。(切支丹を捕らえ、厳しく処罰した)
亡慮三十万人。(約三十万人)。
而ぬ今に到るまでその本根を芟鋤するかなわず。(しかし、今に到るまで根絶やしに出来なかった。)」
その後にも、「遇民を扇動せん。」であるとか、「その毒稲延べて大阪京都に及ばん」と排邪的な言葉が続きます。
 やはり、内容的にも『閑愁録』は反キリスト教である排耶と、仏教の再興を目的としています。前に紹介させていただいた現代文の朗読で説明は不要と思われましたが、あえて説明させていただきました。

 

C、当時の人々の理解

 


『維新政治宗教史研究』徳重浅吉著において

「或いは三月には寮司猶龍が閑愁録を持ちまわっているなど、破邪の精神は相当に了解されていたらしい」 408ページ

 との記載があります。
幕末、明治に活動した破邪僧が、寺院に『閑愁録』を持ちまわって、反キリスト教思想「破邪」の精神を伝えていたというのです。

寮司猶龍という破邪僧は、本願寺大谷派、高倉学寮(現在大谷大学)のキリスト教対策機関である「護法場」の一員で、宗門から派遣され、長崎に行き、浦上四番崩れにかかわった、降魔窟という一派の一人です。

猶龍という人物は「仏法護国論」を持って各寺院を示唆して回ったと言うことです。
そして、この破邪僧たちは、長崎では、東西宗派同盟を組んで、切支丹を厳重に取り締まるための建白をし、また流刑の際、取り締まり協力したため長崎県庁より、褒章を受けています。
『閑愁録』とは、沢山ある護法書の中で、平易に、また短く、簡潔した文書であるため、用いられたのでしょう。前の文章で破邪僧がかわいそうに思うと書いたのは、彼らがその人生を賭して、護法(佛教を守る事に)励んでいたからです。
当時の読んだ人たも、やはり、「護法書」または反キリスト教を目的とした「排耶書」として読んでいたのです。

以上、『閑愁録』について詳しく説明させていただきましたが、そのような説明がなくても、文章を読むだけで、簡単に理解出来るので蛇足かもしれません。
ですから、『閑愁録』で

「キリスト教徒が激しく迫害されていたことに同情があった」

であるとか、

「迫害は食い止めたいという思い」

があったなどという文章をまじめに論じあう必要はありませんので、著者には回答を求めません。

不思議に思われるのは、簡単に理解できる内容であるにもかかわらず、編集の段階で研究者たちの常識から逸脱している内容が、正しく評価されず、出版されているかです。
そのことにおいては、出版社である、いのちのことば社への信頼にもかかわってくると思われますが、それについての印象もお答えいただければ幸いです。
もちろん、内容理解において、私の理解が間違っている部分、また新たな証拠などがあるならば、お教えください。
すき放題述べさしていただいたこと、失礼な表現があったこと謝罪させていただきます。
 
                     
                  在主 佐野 学 ~

 長い文章になりますから、途中飛ばして読んでください。この著者の本というのはすべてこんな感じなのかもしれませんね。憶測で何でもかんでも、キリスト教に好意的に結びつけようとする。
 ある意味それが、多くの場合「福音的な見方」なのかもしれません。しかし、専門的な研究や学術的な論理を無視して「ハレルヤ、アーメン」と言うのは浮かれるとしか思えません。
 あの話を聞いてふむふむと頷き、司会の先生が最後に「講演会で真理が明らかにされ」なんて祈っている姿に私一人が宇宙人になったような気がしました。
 『龍馬の夢』という本も出版されているらしい。

恐ろしい著者、おそるべきツワモノ、いのちのことば社