父親が亡くなってから数年が経つ。
僕の父はおだやかで、どちらかというと静かな人だった。
あまり怒られたり、しつけをうるさく言われたりした覚えがない。
それに加え、実家は商売をしており、両親ともに働いていたから、そもそも触れ合う時間というのがそれほど多くなかったのかと思う。
だから、父を思い出すときに、どういう人だったのかという具体的なイメージがなかなか沸かない。
浮かんでくるのは、なんとなくニヤニヤ笑っている表情や、おうど色のジャンパーを着て(穴が開いてもこれを着ていた)あぐらをかき、大きな背中を丸めて新聞をじっくり読んでいる背中くらいだ。
それでも、僕自身が父親になり、父から受け継いだなと思うことが二つある。
一つは、夕ご飯を食べるときにはテレビを消すことだ。
僕も父親同様、子どもに対してあまりあれしろこれしろ、あれするなこれするなと言わない――僕自身がだらしないからなのだろうが、あんまりルールめいたことを言えないたちだ。
言ったとしても、結構その場限りで、ルールが統一せず、緩やかな感じになってしまっている。
でも、なぜか夕飯を食べるときにテレビを消すことだけは、断固として励行している。
その辺のかたくなさは、自分でも不思議なのだけど、テレビがついているとイライラしてしまい、子どもたちが泣こうがわめこうが、冷徹にプチッと消してしまう。
父親がそうだった。
夕飯が始まってもテレビがついていると、いつもは穏やかな父親が「うるさい、テレビを消せぃや」と鋭く発していた。
どうしてそこまでテレビを消すことにこだわったのか、それは今となっては確かめようもないけど、その作法はしっかりと僕のなかに染みこんでいるな、と改めて思う。
それからもう一つは、「人間登り」という遊びだ。
名前だけではよくわからないと思うので(その名前も僕と子どもとで勝手につけたものなので、正式な名称はわからない)、簡単にやり方を説明させてもらう。
まず僕が手足を適当に曲げて立ち、一本の木になる。
そして、帽子を手の先に持ったり、頭の上に載せたりしておく。
そうやって準備ができたら、子どもたちは、その人間の木によじ登り、帽子をうまく取れたら成功、という単純な遊びだ。
ある日、ふとその遊びを思い出して子どもたちにやってあげたところ、とてもうけて、それからは、バイブ(登っている途中で木が揺れる)、ジャンプ(文字通り木がジャンプして、登っている子どもを落とそうとする)、吹きかけ(登っている子どもの顔に息を吹きかける妨害)など、レベルを上げている。
格言めいたことや、理想のオヤジというような思い出はないけれど、なんだか今は、この二つの受け継いだことだけで充分のような気がする。