とのとののブログ

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 新月会90周年演奏会で演奏された多田武彦作曲の男声合唱組曲「富士山」について,指揮された広瀬先生はこう書かれた。

 

「演奏にあたっては当然ながら楽譜に忠実に,を毎回心掛けますが,唯一の例外として4曲目『作品第拾捌』の冒頭だけは『福永陽一郎解釈』に依ることをご了承いただかなければなりません。初めてこの組曲がレコードに刻まれたとき,福永先生はなんとこの部分で楽譜のテンポ指定とかけ離れた演奏をし,それが非常に説得力のある解釈だったので,それ以降の指揮者に多大な影響を与えることになったのです。我が師北村協一先生もその影響下で独自の解釈をされていましたので,今回私もそれに倣うことにいたしました」

 この一節に多くの「合唱史」が詰まっている。私の「合唱史魂」に火がつき,考えていたことに触媒として作用し,以下の長文をしたためた。

 

 ここで言及されているレコードは,東芝の「現代合唱曲シリーズ」LPのうち「柳河風俗詩 多田武彦作品集」のこと。福永はシリーズの企画意図を,1枚目のLP「月光とピエロ 清水脩作品集」に,「楽譜があっても音として聴くことができないため多くの楽曲が見過ごされているため,推薦できる楽曲を中心とした,アンソロジー的なシリーズを企画した」と書いている(要約)。そして「単に『音』としてだけでなく,『音楽』としてできあがっているレコードという印象をもって聴いていただけたら,望外の喜びである」と記している。これは「音楽ではなく音として聴いてほしい」と言ってることになる。

 福永はこのシリーズのライナー・ノートに何回も「楽譜に忠実な演奏」という趣旨の文章を書いている。企画意図が「楽譜を音にしたアンソロジー」なのだから,当然そう書かないといけない。しかし,福永にとってそれは楽譜をそのまま機械的に演奏することを意味しない(大抵の指揮者にとってそうだろうが)

 

 「清水脩作品集」では「指揮者の音楽上の意図による,いくつかの特例をのぞいては,とくに音符に関しては,まったく変更を加えずに演奏されている」と,音楽上の意図による「変更」があるとしている。

 また,2枚目のLP「水のいのち 髙田三郎作品集」では,混声合唱組曲「水のいのち」の1曲目「雨」で「こだちに」のスビト・ピアノは指示に従わなかったと述べている。理由は「原譜の指示に従わないことが,逆説的にだけど,原譜の要求している『音楽』を表出するためであった」としている*

 つまり,福永の「楽譜に忠実」とは,楽譜を機械的に音にすることではない。福永が楽譜の音符と指示から読み取った音楽が「作曲者が意図した音楽」であり,自身と合唱団の技術を尽くしそれを表現する。それが時に楽譜の指示と異なる演奏になったとしても,「作曲者が意図した音楽」を表現している。楽譜を真摯に読み解くことこそが大切であると言ってる。

* 指揮者で評論家の宇野功芳も,雑誌「合唱サークル」のレコード評で「たいていの演奏会で,この機械的なスビト・ピアノにひっかかる」と「告白」している。宇野はちょうど自身でもこの組曲を演奏すべく研究しているところで,LPの演奏に「福永陽一郎の”心の声”を聴けるのは大きな喜びである」と述べている。同時に楽譜と比較した演奏上の問題点を何点か指摘している。

 

 福永は合唱新聞で「合唱団員は曲の歌詩など読む必要はない」と,大論争を引き起こしたことがある。ここでは深入りしないけど,要するに「詩を読み込んで曲を作るのは作曲家の役目であって,音楽は全て楽譜に表現しなければいけない。詩を読まないとその音楽が表現できないなら,それは作曲家の怠慢だ」と主張した。反論もあるだろうけど一理あるし,これは福永流の極端な物言いであって,福永も詩はちゃんと読んだうえで,あえてこう言ってる。

 おそらく多田武彦もこの考え方に共鳴しているか,または影響を受けている。多田の指導を受けた方はご存知のように,多田は「言いたいことは全て楽譜に書いてありますから,楽譜に忠実に演奏してください」と常に言っていた。もちろん,そこに「多田メソッド」を重畳させないと「名演奏」にはならないが。

 

 さて,男声合唱組曲「富士山」について,福永は「草野心平の詩の雄大さと作曲者の作曲技法のスケールに違和感を持つ指揮者は,現に存在しており」とし,それに「反対し得ない面があることを認めないわけにはいかない」と婉曲的に同意したうえで,こう記している。

「あるとき,大人数の合同合唱曲にこの組曲をえらんで指揮したところ*,作曲者が非常に喜んでくれたので,私自身が自身を持つようになったのかも知れないが,私は,他の作品と違って,この曲に関しては,楽譜上の指定を大巾にはみ出した解釈を行っている。(中略) 私が楽譜をはみ出した結果,作曲者は,その意図が充分に達成された演奏だと満足したのである*  この演奏は昭和40年の「第14回 東京六大学合唱連盟 演奏会」の合同演奏。

「楽譜を参照しながら聴くとき,かなりの分量で,記号などの変更があることに気付かれるだろう。それは,充分に意図的なものであり,しかし,作曲者の原意をそこねるものではないと信じている」

 前述したように,これが福永にとって「楽譜に忠実」という意味で,「機械的な譜面通りの演奏」とは違う次元の話をしている。そして,多田も同じレコードで「中でも『富士山』は私が表現してほしいほしいと思い続けて来たものを出し切っていた」と述べ,福永の言葉に「完全同意」している。読みようによっては「多田の音楽は当時の未熟な作曲技法では表現できていないので,福永が指揮で修正補足した」となるわけだけれど,多田は大人の対応をしている。

 

 さて,『作品第拾捌』の冒頭について。まず多田武彦が指揮した「富士山」の演奏を聴くと,冒頭は音量抑えめで,かなりゆっくり演奏されている。

 https://www.youtube.com/watch?v=ElH4wVwjvy8

 一方,広瀬先生指揮の2012年の「新月会・関西学院グリークラブ・高等部グリークラブ 合同演奏」では,速く強めの音量で演奏されている。これは確かにLPの解釈を踏襲している。北村協一のCDや録音も同様。

 https://www.youtube.com/watch?v=9WS8jTZo_R8

 

 多田は第4曲を「この曲は組曲のなかでもっともむずかしい曲である。出だしの『まるで紅色の狼煙のように』の部分は『語り』 だから、あたかも謡曲のように語るべきところであり、軽やかにさらっと歌うところではない」と述べている

http://www.ric.hi-ho.ne.jp/neo-rkato/yaro/y031213fujisan_ni_tsudou.htm

 

 私は,初めて聴いた「富士山」がこのLPなので,慣れ親しんでおり,また「福永陽一郎解釈」の方が前半と後半が上手くつながって違和感がない。しかし,多田によればこの曲は「語りの部分・情景説明の部分・金管楽器のように輝く部分・とうとうとメロディーを歌う部分」の4つの組み合わせでできており,「これをマスターする合唱団はすくない」と嘆いている。

 

 LPでは完全同意していたように読めたけど,多田自身は「福永陽一郎解釈」に納得していないのではないか。というのは,この部分の指示「Allegretto con fuoco」は一般に「やや速く、熱烈に」なので「福永陽一郎解釈」が真っ当に思えるが,楽譜の速度表示は私が持っている「多田武彦 男声合唱曲集」の初版(昭和456月発行)では四分音符が112と遅め。これが最近の楽譜では90と更に遅くなっているらしい*。どうも「反・福永陽一郎解釈」を強く打ち出してる気がする。

* http://nihonshijin.blog2.fc2.com/blog-entry-103.html

 

 録音に使われた昭和34年出版版の「多田武彦合唱曲集」(緑本になる前)では,この曲に速度表示がない。他の曲にはあるので印刷漏れと思われるが,これが「福永陽一郎解釈」を生んだ原因ではないか。福永は「Allegretto con fuoco」とあり速度表示がなかったのだから,「楽譜に忠実に」演奏したと思っていたはず。ここは「楽譜上の指定を大巾にはみ出した解釈を行っている」に含めていなかったように思う。

 

詩にある豊旗雲の初出は,万葉集に載った天智天皇の歌「海神の 豊旗雲に 入日さし 今夜の月夜 さやけくありこそ」とされているが,1970年頃までこれがどんな雲なのか誰も分からなかった。なんとなく「大きな旗のような雲」と捉えられ使われてきた。

 下記研究によれば古代の「豊旗雲」とは「南西で地平線に接する帯状絹雲」らしい。

https://www.metsoc.jp/tenki/pdf/1975/1975_06_0297.pdf

 一方,豊旗雲は単に「旗のようにたなびく美しい雲」とする説もあり,下記によると「昭和一桁世代より以前の方々にはなじみのある言葉と聞いている」とあり,草野心平もこのイメージで使ったのだろう。辞書を丹念に引く多田武彦も同じだったはず。

https://saijikisitara.hamazo.tv/e2937248.html

 

 

「グリークラブアルバムの研究」柳河の図を再掲

 少し違う話で,明らかに作曲者が「解釈」に異を唱えていたのは,男声合唱組曲「柳河風俗詩」における「北村協一解釈」(これは私がいま名付けた)4曲目「梅雨の晴れ間」の46小節,ベースが「たまりーみず」と歌う部分のリタルダンド。これはビクターのLP「現代日本合唱曲選5 多田武彦作品集(男声編)」に録音が残っている。

 このLPが出る前,雑誌「合唱界」(vol.2-no.5)の記事で多田武彦は「『ねぎのはたけのたまりみづ(ママ)(中略)の所で楽譜に何も書いていないのにrit.をされても困る」と苦言を呈しているので,以前からそのスタイルで演奏していたのだろう。

 雑誌「合唱界」はこの6年後(vol.8-no.10),「男声合唱組曲『柳河風俗詩』のアナリーゼ」を載せ,「作曲者としてのぞむこと」を多田武彦に,「指揮者としての演奏解釈」を北村協一に書かせるという面白い記事を載せた。ここでも多田は「勝手にrit.するな」という主旨で書いており,「北村協一解釈」が続いていたことを伺わせる。北村はこの部分に何も書いていない。かなり後のYoutubeで聴ける演奏でもこのスタイルで,北村として読み取った音楽を揺るぎなく表現している。

 

 作曲家の書くことや指揮する音楽が絶対のものなのか?について,東芝のLP「島よ/白い世界」で大中恩と福永が面白い議論をしている(正確には,議論したことをお互いが書いている)。福永は「大中恩の楽譜は実に良く書けていて,疑問の余地がなく,楽譜に相対すれば自然に作品に入り込め」「楽譜から受ける音楽はもっと強烈なものがある」にも関わらず,「大中自身がコールMegを振った演奏は,照れがあるのか,そうならない」と不満を述べている。混声合唱曲「島よ」については,コールMegによる自作自演のレコードからは,福永が楽譜から作り上げた「豊かにふくらみある音楽」がまるで感じられなかったと*

 結論はでなかったが,要するに「作曲家の自演は絵画で言えば自画像であり,他の指揮者によるものは肖像画である。自画像と肖像画はどちらが本人に似ているかは意味のない議論だ」としている。これが冒頭の「楽譜に忠実な演奏とはなにか」につながる。福永は自身が描いているのは本人そのものの「肖像画」だと意識したうえで,肖像画を描くために精進すると述べている。大中は「常々福永さんは,演奏に当たって作曲者の言葉をきく必要なし,と言われてますが」という発言を紹介している(現代合唱曲シリーズ「海の若者 大中恩作品集」)。

* おそらく福永が聴いただろう大中が指揮する「島よ」を,私もCDで聴いたが,福永に同意する。

 

 最後に東芝の一連のレコードで「楽譜に忠実な演奏」と何度も述べているのことの位置づけを考えてみたい。「例外もある」「指示をはみ出している」と断りも書いているのだから,誤解を招く書き方をしなくても良かったと思う。おそらくこれは「楽譜を音にしたアンソロジー」「合唱曲のエンサイクロペディア」という企画意図があるため,その文言を入れざるを得なかったのだろう。しかし,福永が機械的な演奏をするはずもない(笑)。

 

 察するに,東芝の「現代合唱曲シリーズ」に先駆けて,ビクターの「現代日本合唱曲選」が始まっていたため,差別化が必要だったからではないか。

 

 ビクターは東京混声合唱団と昭和35年頃に専属契約を結び,民謡の合唱編曲版やホームミュージックのレコードをたくさんだした。昭和40年代に入り,昭和42年「日本の合唱(上・下)」を6枚組で,また同じく「1000万人の大合唱(その1・その2) 全日本合唱連盟創立20周年記念『日本の合唱曲の歴史演奏会』より」,昭和43年ごろ「MICHIO MAMIYA COMPOSITIONS FOR CHORUS 1958-'68」と合唱史的に貴重な録音をいくつも出した。

 これらのレコードを担当したのが,当時ビクターの音楽事業部で教養部ディレクターをしていた伊藤玲子。国立音大を卒業後,昭和32年頃に入社し,道徳教育のレコードや「日本の鉄道」という汽車のレコードを担当した。録音中の貴重な写真が下記にある*。その後,日本歌曲や合唱曲を担当した。

* https://ameblo.jp/mangetsu-mujica/entry-12381194563.html

 

 「日本の合唱」作成時は,畑中良輔や清水脩からアマチュアの優秀な団体を聴くよう勧められ,その新鮮な魅力にハマり,多くのアマチュア合唱団に声をかけ録音した。彼女は福永との対談で「ステージで合唱する人の顔つき,あの顔つきが目に浮かぶようなレコードを作りたい」と述べている。彼女の取り組みは興味深いが,詳細は別の機会にまとめる。

 

 ビクターの「現代日本合唱曲選」は,「日本の合唱」と同じく大学グリークラブやコールMegなどアマチュア団体が多く録音している。多田武彦作品集の関西学院グリークラブや慶應ワグネルの録音データからすると,アマチュア団体が演奏会のため最高の完成度に仕上げた演奏を,スタジオではなく演奏ホールでそのまま録音するスタイルが取られている。関西学院の組曲「雨」は東西四大学の後,慶應ワグネルの組曲「雪明りの路」は東京六大学の後など。ただシリーズとして出していくためにはアマチュアの演奏が仕上がるのを待ってるわけにはいかないので,東京混声合唱団などプロも併用した。

 

 この企画を知っていたかは分からないけれど,東芝の「現代合唱曲シリーズ」は対象的な取り組みとなった。まず合唱団はアマチュアを使うけれど,LPごとにメンバーを集め編成する。録音用の合唱団は男声も混声も「日本アカデミー合唱団」と呼ばれ,固定メンバーではない。男声は東京,混声は京都で編成され,女声は中国短期大学フラウエンコールが担当した。録音はスタジオ録音を基本とする。男声は20名程度の写真が残っている。

 このスタイルだと計画的にメンバーを集め,練習・録音・発売することができ,ビジネスとして進めやすい。しかし,合唱団が演奏会に向け完成度を上げた演奏ではなく,「録音のための練習」をした演奏になるため,音楽的とするより,「楽譜に忠実な,音源として使える(正確な)演奏」と位置づける方が相性がよい。これが福永が何度も述べていた理由ではないか。

 もう一つの違いは,ビクターでは録音時に作曲家の立会があったのに対し,東芝ではなかった(よばなかった)。このあたりにも,大中が紹介する「常々福永さんは,演奏に当たって作曲者の言葉をきく必要なし,と言われてますが」が反映されている。

 

 なお,福永によると,一見シリーズの特長に思える「福永の指揮」「1枚のLPは同じ作曲家の作品だけで構成すること」「合唱界で著名な人の作品」は企画意図ではなく,「合唱団に歌う喜びをあたえ,聴く人が満足する」すべての曲をレコードとして提供することが目的なので,臨機応変に進めるとしている。

 多田武彦の2枚目の作品集「雪明りの路」は,関西学院グリークラブや同志社グリークラブが吹き込み,その理由を「充分に楽曲を咀嚼し,内容の把握を発酵させた最良の時点での録音」としている。これはビクターのコンセプトと同じ。

 次に発売された「海の構図/風のうた」は中田喜直と大中恩の作品がカップリングされ*,「日本アカデミー合唱団」ではなく,合唱団京都エコーの録音と明記された。以後,男声合唱も関西学院グリークラブや同志社グリークラブの名で録音されるようになった。

 こうなるとビクターの「現代日本合唱曲選」と区別がつかなくなるが,ビクターからの販売が減っていったので,特に気にしなくて良かったのだろうか。のちに伊藤玲子がビクターから東芝に移ったことも,関係しているかもしれない。

* カップリングは先行例がある。下図参照

 

 邦人合唱曲のレコードについて,詳しいことは別にまとめないといけない。「現代日本合唱曲選」と「現代合唱曲シリーズ」のLPについて,発売順にまとめた。

 「現代合唱曲シリーズ」については抜けがあるが,帯などの広告と私が発売時に買った時の記憶と,福永の「何人目の作曲家」「何枚目のLP」という記述を元にするとこうなる。LPの番号が頻繁に変更されるので,それを頼りにすることはできない。実際に抜けがある(私が知らないLPがある)とは思えないのだけど。

 後に東芝は福永の監修でない(指揮していない,ライナー・ノートも書いていない)を「現代合唱曲シリーズ」としてラインアップしているので,福永もそれを織り込んでいるのかも知れない。

 また,シリーズとしてここから男声合唱LPが怒涛のように出るのだけれど,それも含めて別の機会にまとめる。なのでここでは「暫定版」のリスト。ビクターからもたくさんのLPがでるのだけれど,それも別の機会に。

以上