こんにちは、D-SPORT Racing 監督の 殿村裕一 です。

 

このブログは、

軽自動車の「コペン」が、

世界ラリー選手権WRC)の日本ラウンド「Rally Japan」で、クラス優勝するまでの軌跡を記すものです。

 

軌跡を記しますが、その挑戦継続中現在進行形なものです。

 

ですので、軌跡を記しつつも、足下の挑戦(ラリー参戦)の様子もイベントがある毎にお知らせいたします。

 

 

 

世界最小スポーツカーで世界最大の挑戦をしようと思った訳

 

僕はありがたいことに1995~1999年までの約5年間、三菱自動車のラリーチームで仕事をさせていただいたのです。

ラリーチームのエンジン担当でした。

エンジン研究部エンジン開発実験課(当時)に所属していました。

ラリーエンジンの設計と実験で8人くらいで回していました。

 

①パリ・ダカールラリーに参戦するパジェロのラリー用高出力エンジン

②世界ラリー選手権(WRC)に参戦するランサーエボリューションのラリー用高出力エンジン

 

僕は大学の研究室の頃から、台上でエンジンを回していましたし、その当時教授が内燃機関な熱工学の業界ではとても有名な方でしたし、時代的にもバブル期で就職は引く手あまたでしたので、言わば自動的に就職が決まりましたし、当然のようにエンジン研究部に配属された訳です。

 

時はモータースポーツブームでしたし、世の中全員クルマ好きじゃないか~くらいな雰囲気でしたし、僕に至っては研究室もエンジン、そして部活は自動車部と、そりゃもう自動車どっぷりな大学生だった訳です。

 

ので、学生時代から当時テレビでモータースポーツの番組を良く放映していたものですから、かじり付いて観ていた訳ですね。

 

その歩みは、この記事にありがたくまとまって書かれています^^)

 

 

 

エンジン研究部に配属された僕は、その職場に、テレビで観ていた人たちがいるのに気付きます!

そりゃもう、23歳当時の僕にしてみれば、アイドルを観るようなキラキラした目で、その方達を観ていたのを記憶しています(笑)

 

大学生の僕がテレビで観てたとても印象に残っている映像がこれです。

ここに登場する日本人な方々が、就職先の職場にいらっしゃったという訳です。

イイハナシでしょ(^^♪

良い時代だ~ちゃんとYoutubeで映像が出て来るのだから~

 

入社してから5年間希望を出し続け、そしてめでたくラリーチームに加えて頂いたのです(^^♪

 

 

ラリーチームに加えて頂いてからは、ひたすらパリ・ダカールラリー用の高出力エンジン担当だったのですが、パリ・ダカールラリーは年始に行われる、年に1回の大イベントです。

一方、世界ラリー選手権は、世界中を巡る、最低でも月に1回は世界のどこかで開催される、F1と同じ格式高いモータースポーツです。

ので、仕事の忙しさは世界ラリー選手権の仕事です。

 

1997年の暮れに婚約。

そして、1997年のクリスマスから1998年の1月末までパリ・ダカールラリー帯同でアフリカに行く。

パリ・ダカールラリーの記念すべき20周年大会で、めでたく1-2-3-4フィニッシュを飾って帰国。

 

 

その当時、三菱チャレンジャーで4位フィニッシュをしたラリードライバーの増岡浩さん

三菱ラリーアートチーム監督

僕も監督^^)

天才ドライバー増岡さんと天才ドライバー相原さんのご対面

 

 

帰国するやいなや、直ぐにお休みを頂いて、パリ・ダカールラリーで仲良くなった仲間のところを訪ねがてら新婚旅行に行き、それが1998年3月。

初めて帯同したパリ・ダカールラリーでいきなり1-2-3-4位フィニッシュを果たした僕は「運が良い」ということで、WRCで三菱チームが不得意としていたツール・ド・コルスラリーを手伝いなさい!と突如なりました(笑)

それが1998年5月。

 

 

その当時は、こんな感じでした。

この写真自体は1999年の参戦体制の写真です。車両はランサーエボリューション6

 

 

チームが不得意としていたツール・ド・コルスラリーを突如手伝いなさい!となり、いくら「運がいい」僕でも、そこは天は味方してはくれず、参戦した2台ともリタイヤという最悪の結果を持って日本に帰国しました。

その時の様子もありがたくYouTubeに出て来ます。

9分過ぎからその映像になります。

リタイヤの場面で欧州人の中で見えませんが僕がいます(笑)

 

 

で、お待たせしました!本記事のようやく本題です(笑)

 

この、今から26年前、1998年ツール・ド・コルスラリーに行った時の感覚が、この世界最小スポーツカーコペンで世界最大の挑戦(世界ラリー選手権にも出てしまおう)をしようと思った訳につながっているのです。

 

なぜならば、ツール・ド・コルスラリーに行った時の感覚、その場で感じた雰囲気が、

 

「なんだ、全日本ラリーと一緒じゃん!」

 

と、感じられたからなんです。

つまり、世界を転戦していますが、その各国で開催されている最高峰のラリーを転戦しているのだな~と理解した訳です。

 

ならば、全日本ラリーに出てそれなりの成績が残せるのであれば、世界ラリー選手権、とりわけ日本で開催されるラリーであれば、十分に話題を集めることができそうだなと、そういう確信めいたものがありました。

 

 

時は、ラリージャパン開催に動いていましたし。

流れは来ていたのです~

 

 

 

次の記事につづく・・・・・・

 

 

 

この活動になくてはならないお世話になっている方々のご紹介です。

 

◇ SPK株式会社が運営するダイハツ車専門カスタマイズパーツ「D-SPORT

 

 

◇ ラリーカーのメンテナンスを担っていただいている「HALF WAY

 

 

◇ 主に空力でご協力いただいている「NIFCO