こんにちは、D-SPORT Racing 監督の 殿村裕一 です。

 

このブログは、

軽自動車の「コペン」が、

世界ラリー選手権WRC)の日本ラウンドRally Japanで、クラス優勝するまでの軌跡を記すものです。

 

軌跡を記しますが、その挑戦継続中現在進行形なものです。

 

ですので、軌跡を記しつつも、足下の挑戦(ラリー参戦)の様子もイベントがある毎にお知らせいたします。

 

 

 

それは6年前に突然降りて来た

 

経歴や、このコペンラリー挑戦するまでの経緯は、実はこの記事に上手くまとめていただいていたりします(笑)

 

 

この記事は、僕の歩みをとっても上手くまとめていただいております。

これも踏まえつつ、コペンでのラリー参戦軌跡を記して行きたいと思いマス。

 

 

いまからちょうど6年前の2018年の1月19日に、僕はこの図を描きました。

(この図はマインドマップと言います)

 

 

 

その当時、僕を取り巻いていただいている方々をドゥルっと寄せ集めて見ると、

 

コペンでラリーできるかも!

 

と感じられました。

その感じは1分毎に確信にどんどん変化していって、およそ5分後には、

 

コペンでラリーできるし、世界ラリー選手権まで行ってしまおう!

 

となっていました(笑)

 

 

 

ヒラメキきはおよそ「トイレ」から始まる(笑)

 

その2018年当時、僕は会社の中で10人以上のメンバーと一緒に働かせてもらっていて、グループ長を務めていました。

そのグループの中に、このコペンでのラリー参戦には絶対に欠かせない相原泰祐さんがいたのです。

 

その当時、普通のクルマの商品企画を担当していました。

普通のクルマといっても主に商用車だったと記憶しています。

(そんなに楽しくなかったので、既に忘却の彼方です・・・・・・笑)

 

その当時、いやその当時以前から、相原泰祐さんは個人的にラリーに参戦しておられました。

 

そのラリー参戦のクルマ古くなってしまって、

「ラリーに参戦するクルマがないんですよ~

と、僕につぶやいておられました。

 

そのつぶやきが起点となり、この2018年1月19日の勤務中に、相原さんと一緒にトイレに行った時 = いわゆる連れションに行った時に、上記描いたマインドマップのアイディアが降って来ました!

 

コペンラリーに出たら!?」

 

「え?コペンですか?」

 

世界ラリー選手権まで行けるかも知れない!」

 

「え?そんなこと出来るんですか?」

 

ここから全ては始まりました(^^♪

 

 

相原さんがラリー参戦していたブーンX4(ブーンクロスフォー)

 

 

 

仲間は揃っていた

 

ラリーというモータースポーツ競技は、JAF国内Bライセンスがあれば出場できる競技ですが、競争区間が長かったり、車両へのダメージがある場合もあるので、仲間(ラリー車の走行を支えるメカニックがいないと成立させるのが難しい競技です。

 

そこで、相原さんは、彼を慕ってくれる仲間を集めて束ねてKDRというJAF準加盟クラブを運営していました。

 

 

その時は、そんなことになろうとは予想だにしていませんでしたが、

このTeam.KDRが、現、JAF加盟クラブの「D-SPORT Racing Team」になっています。

 

 

僕が最初に相原さんのラリー参戦を見に行ったのは、全日本ラリー選手権の中で、近畿地区で開催されるラリー丹後です。

このラリーは京都府京丹後市で開催されるラリーです。

 

 

このラリーは、ターマックラリー(舗装路で行われるラリー)で、且つ平均車速高めのイベントになります。

サーキットトライアル出身の相原さんとしては得意なラリーです。

車体サイズも小さく、排気量も小さめなブーンX4ながら、格上を上回る好タイムを記録することもあり、ラリー界ではぼちぼち有名になりつつありました。

 

このラリー丹後を観戦に行ったのは、2018年4月29日のことでした。

 

ラリーはドライバーのドライビングテクニックのみならず、コ・ドライバーとのコンビネーションも大切

 

Team.KDRのみなさん。ラリーはチーム力なくしては、好成績はおろか、完走することすら難しい

 

 

 

相原泰祐という天才的感覚を持つドライバーとコペンとの組合せ

 

リーマンショックが2008年に起こり、そのタイミングでほとんどの自動車メーカーはモータースポーツ活動から撤退しました。

これは、いわゆる「マーケティングのモータースポーツ」と言われていますが、モータースポーツで勝つことによりクルマの販売台数増大への寄与があるという前提でのモータースポーツ活動でした。

 

リーマンショックを機に、一気に世の中環境意識転換しましたよね。

 

そんな自動車メーカーがモータースポーツから撤退する中、粘り強く身近なモータースポーツ下支えしていただける活動がありました。

 

その活動をされていたのがSPK株式会社です。

(現在も共に活動いただいております)

 

SPK株式会社は、ダイハツ車専門のカスタマイズパーツを「D-SPORT」というブランドで展開されております。

 

そのD-SPORTパーツを装着して、実際にサーキットを走って見よう!というイベントD-SPORT CUPを開催されて来たのです。

リーマンショックで自動車メーカーが走行系のイベントをも取りやめる中、D-SPORT CUPを粘り強く開催し続けていただけていました。

 

 

上記、2018年4月29日にラリーを観に行ってから、翌月2018年5月19日に、筑波サーキット1000で開催された、D-SPORT CUPに参加しました。

これは、相原さんと共に参加してコペンラリーに使えるかどうか試して見よう!という為に参加したものでした。

 

相原さんとコペンの記念すべきサーキットでの初組合せ!

 

 

 

このD-SPORT CUPに参加するために、大阪から筑波まで約570kmを、僕と相原さんは僕のコペンで移動しました。

その時初めて相原さんと長距離移動を共にしました。

その時、僕に直感がもたらされました。

 

新東名高速道路を法定速度内の高速で移動中、が襲い掛かって来ました。

そのが来た時に、相原さんが運転をしていました。

僕は助手席です。

僕であれば、による見通しの悪さが故に、速度を落とすと感じられました。

ところが相原さんはなどなんのその・・・・・・の中を悠々と余裕でクルージングされておりました(笑)

 

実はこのが僕に直感をもたらせてくれたのです。

このがなければ今はないかも知れない!?

もしくは、時間的にもう少し必要だったかも知れない!?

それくらい僕にとってはめぐみでした(笑)

 

の中を悠々と余裕でクルージングできるセンサーを持っているヒトって???

 

これって、これまで僕が出会って来た、レーシングドライバーの山野哲也さんとか、ラリードライバーの増岡浩さんとかと同じじゃないか???

 

いわゆる、カラダ備わっているセンサー凡人とは違うということ。

 

そこでひとつの質問を僕は相原さんにしました。

 

「もしかして、小学生の頃から、何かしら運転していたよね!?」

 

「え?なんで分かるんですか?」

 

 

その僕の直感正解だったということでした。

 

この瞬間に僕の据わりました。

 

コペン相原ドライバー組合せ行けるところまで行こう

行けるところまで行ける!と。

 

 

この時のD-SPORT CUPは、別の切り口ではありますが、記事にもなっていました。

ご参考までに。

 

その時の撮影の様子です(笑)

 

 

 

次の記事につづく・・・・・・

 

 

 

この活動になくてはならないお世話になっている方々のご紹介です。

 

 SPK株式会社が運営するダイハツ車専門カスタマイズパーツ「D-SPORT

 

◇ ラリーカーのメンテナンスを担っていただいている「HALF WAY

 

◇ 主に空力でご協力いただいている「NIFCO

ニフコは「小さな気づきと技術をつなぎ、心地よい生活と持続可能な社会を創造する」会社です。