僕は曲げない
嫌われるよりは、好かれるほうがいいに決まってます。
周りから嫌われることを望んでる人なんて、
そんなにたくさんいるものではないでしょう。
少なくとも僕は、今までにそういう人には会ったことがありません。
僕も同です。
嫌われるより好かれたほうがいい。
でも、
自分が正しいと思うことを曲げてまで好かれようとは、
やっぱりどうしても思えません。
でも嫌われるよりは好かれたほうがいいんです。
それも明らかなんですがね。。。
石原都知事が辞意を表明しました。
任期を残したまま、都知事の職を辞して国政への
復帰を決意したようです。
どちらかというと辛辣な論調なので、
かなり敵も多いと思われる石原都知事。
個人的には好きな政治家のひとりです。
もちろん頷けるところとそうでないところはありますが、
それはいつもここで言うように、1mmのくるいも無く同じ
思想なんてことは基本的に無いに等しいことですから。
彼は批判されようとも、自分が正しいと思うことを
ブレずに推し進めます。
その内容はともかくとして、人として見習うべきところが
多い先輩のひとりだと僕は思っています。
御年80歳。
記者会見で年齢のことを問われると、
「そうだよ。80だよ。若い者はいったいなにやってんだ。」
と、おっしゃってました。
まだまだ元気そうに見受けられる石原都知事ですが、
本来なら都知事が「こいつになら日本の将来を任せても
いいな」と思えるような人材が出てこなくてはいけないのですよね。
もちろん、政策や思想はおいておいての話です。
スタンドプレイに見える人って、世の中にたくさんいます。
なかなか判断は難しいところですが、スタンドプレイに
見える人ほど、僕はどちらかというと愛に深い人なのでは
ないかと思っています。
政治家ならなおさらね。
推し進めた政策が正しかったか間違っていたのかは、
歴史が証明してくれるのを待つしかありません。
利権や己の私利私欲だけのために国政を担う
政治家は存在しないなんてことは言いきれませんが、
国家・国民の未来のために全力を尽くしてくれている
ものだと信じたいものです。
スタンドプレイってとっても自分勝手に見えますけど、
じゃぁ誰にでも出来ることかといえば、そうではない。
確固たる信念や愛情がなければ、そんな簡単に出来ないもの。
その結果、作らなくてもいいたくさんの敵を作ってしまうことに
なるということは、誰だってちょっと考えればわかりますからね。
ただ誰かに、民衆に好かれたいだけなら、
きっとそんなことはしないでしょう。
その想いを汲み取ろうとせずに批判ばかりするのは、
僕はとってもナンセンスだと思うのですが。。。
何年か前にもここで書きましたが、僕は父に
「自分にとって嫌なことを言う人のことを信じて進みなさい」
と、耳にタコが出来るほど言われて育ちました。
好かれたいだけなら、適当に調子いいこと言ってりゃいいんです。
自分にとって不都合なことを指摘してくれたり、
きつく叱ってくれたりする人は愛があるからです。
どうでもいい人なら、わざわざそんなこと言いませんよね。
ひょっとしたら僕が今いる環境がそうなだけかもしれませんが、
自分にとって都合の良いことや人だけを自分の周りに並べて
生きていたい人が多いような気がします。
ちょっと嫌なことがあっただけで、会社辞めちゃう人とかさ。
もちろん大多数の人が、そんな中でも必死に頑張っているのだと思います。
僕が多いように感じるというのは、
そんな人だらけという意味ではありません。
石原都知事が政界に飛び込んだ頃と比べると、
きっとそういう人が増えてるんだろうなってことで。
「どうしてそんな言い方するのか?」
誰かに怒られたときに、こんな風に思ったことありませんか?
僕はあります。笑
でもそれは間違いですよね。
確かにもっと違う言い方、怒り方はあったかもしれません。
しかし、怒られているときにこう思うのはダメダメ。
ちゃんと話を聞けていない証拠です。
そんなことを考える前に、怒られる原因を招いてしまった
自分の非を認め、反省せねばです。
周りを見渡してみてください。
アナタのことを怒ってくれる人って、
いったいどれくらいいますか?
職場や学校で、とめどなく涙が溢れるくらいに
怒ってくれる人がいますか?
注意くらいはされるでしょう。
でもねぇ、意外に面倒なことに巻き込まれることを
嫌う人のほうが多い世の中です。
そんなに怒って面倒なことになるくらいなら、
なんとなーくやり過ごそうって人のほうが多い。
そんな社会にしてしまったのも、もちろん僕たち自身なのですが。。。。
「TONOの好きなタイプは?」
ポジション的に、よくされる質問です。笑
僕は必ずいつもこう答えます。
「ありがとうとごめんなさいが素直にすぐ言える人」
何事もそこからですよ。
今日は「ありがとう」と「ごめんなさい」が
素直に言えたかどうか?
「ありがとう」と「ごめんなさい」を声にするべき場面が
あったのではないか?
人のことをどうこう言う前に、そんなことを考えながら
眠りにつける人間であることを、いつもTONOログを
読んでくれるありがたいみんなに願うばかりです。
そして、
「ありがとう」も「ごめんなさい」も、言うタイミングを
逸してしまったなんてことは決してありません。
たとえ何年経過しようとも、その一言の重みが
色褪せることなどないのです。
立ち向かえとは言いません、
でも、目をそらすことだけはやめようね。
アナタにとって不都合な、その真実から。
知らない間に遠くまで来ちゃったな。
君は今、どこで何をしているのだろう?
言えなかったありがとうとゴメンが、
今でもたまに僕の胸をしめつけるよ。
でも君のことを忘れられないのは、
決してそのせいなんかじゃない。
TONO