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光を求めて

男性3人の連続不審死事件で殺人などの罪に問われていた

木嶋被告に対して、さいたま地裁は死刑を言い渡しました。


ちなみに被告は控訴しております。


連日連夜、テレビなどなどのニュースを賑わしていたこの事件、

かなりの人がこの裁判の行方が気になっていたのではないかと

思われます。


しかもこの裁判は裁判員制度による裁判。


一般市民が判決に携わるやつでございます。


裁判員制度が始まるときにも大きく議論されておりましたけど、

僕もこういうケースにどう一般市民が携わるのかというところが

気になっていたひとりです。


こまかいことはおいといてざっくり説明すると、

この事件ははっきりとした証拠がないのです。


DNA鑑定の結果のように、言い逃れが不可能と

思われるような証拠がひとつもなく、『ほぼ間違いなく

そうであろう』という状況証拠しかありません。


しかも被告は完全否認。


まだ被告が自供していたりするならともかく、

完全否認に状況証拠のみ。


裁判官でもじっくりと検証せねばならないようなケースです。


『冤罪』というのだけは避けたいですしね。


ただ今回の事件、素人の僕たちにもきっと『黒』だなと

思われるほどの状況証拠と、複数の男性との愛人関係に

あったことは本人が認めているという事実。


本人が殺人に関しては否認しているとはいえ、

なかなか無罪放免というわけには。。。。


って感じです。



一般市民の感覚を司法に取り入れようというのが

裁判員制度。


こういう僕らの感覚を取り入れることがこの制度の

目的なんですから、判決が出た後の世論の反応を

見ても、十分に目的は達せられたといっていいでしょう。


しかしながら、いざこれが自分が裁判員だったらと思うと、

そう簡単に死刑という判決を下す勇気が僕にはありません。


2月にここで書いた、山口県光市の母子殺害事件についての

ときも同じですけど、死をもって償うべきという決断を下すのは

決して簡単なことではないと思うんです。


いくつもの裁判で判決を下してきた裁判官でさえ、

きっと死刑という判決を下すことは苦しい選択なのでは

ないかと思われます。


少なくとも僕はそう思いたいです。



今回の死刑判決とは関係なく、最近は『命』の重さが

軽くなってきているような気がしてなりません。


犯罪の凶悪化、及び低年齢化、これらは『命』の重さが

軽くなってきていることを示す、ひとつの指標なんではないかと。


東日本大震災という未曽有の大災害に遭遇し、

映画のワンシーンかのような壮絶な光景を

目の当たりにした僕たちは、命があるという

ことの大切さが身に沁みたばかり。


でも一方で、限りなく『黒』ではあるが、確たる証拠がない

被告に対して死刑は妥当だという世論。


もちろん僕もその矛盾を抱えたひとり。


なんかうまく言葉に出来ない気持ちが渦巻きます。


「疑わしきは罰せず」


刑事裁判の原則です。


この原則を忘れては、気分で誰かを犯罪者に

仕立てることさえ可能な世界になってしまいます。


とはいえ、限りなく『黒』に思える被告人を

無罪放免にするのもね。。。。



考えたり感じたりしてほしいんです。


結論なんて出るはずもないことを僕はここで

書いているわけですけど、こういうことに遭遇

したときには、ちょっとだけでもいいから

立ち止まってみてほしいんです。


何も生まれないかもしれません。


ただほんの少し立ち止まることによって、

きっとアナタの心の中にひとつの種が

生まれると思うんです。


その種はいつか、ひょっとしたら芽を出すかもしれません。


草花は光の射すほうへ伸びていきます。


心の中に芽生えた双葉はきっと、同じ光を

求めて育っていくんじゃないかと。


いくつもの種を心の中に持つことが、

僕たちの進むべき未来に誘ってくれるのではないかな。


どんな職種についていようと、どんな身分であろうと、

その前に僕らは日本国民で、地球人です。


テレビで幾度も流れた震災の凄惨な光景を見て

感じたことは、きっとみんな同じでしょう。


もっともっと、共有すべきことがたくさんある気がします。


最近、自分のことで精一杯でした。


いや、過去形ではなく現在進行形かな。


そうなるとどうしても視野が狭くなっちゃって、

足元しか見えなくなってる自分がいます。


みんなはどうかな?



東京はあいにくの雨。


ちょっと残念な週末のスタート。


満開を過ぎた桜が、雨にうたれてひらひらと舞い落ちます。


いつまでも咲いていて欲しいと願えば、

ちょっと悲しい景色であることに違いはない。


でも桜はさ、思いっきり花を咲かせた瞬間から、

もうすでに来年へのスタートを切ってるわけです。


ほら、うつむいてるヒマなんてないぜ。



との