イメージ 1
刈谷市にある鬼城公園は、旧刈谷城の本丸と二の丸の一部にあたります。城は天文2年(1533)水野忠政の築城で、鬼城とも呼ばれ、徳川家康の生母、於大の方の育った城であります。
 城主は、水野家のあと、水野(分家)、松平(深溝)、松平(久松)、稲垣、阿部、本多、三浦と続き、土井家が2万3000石で廃藩まで在城しました。
 廃藩後、一時、国の所有となった刈谷城は旧士族に払い下げられ、昭和11年(1936)には刈谷町がこれを譲り受けました。昭和16年(1941)太平洋戦争が勃発、戦後末期には城跡の高台が高射砲陣地ととなり、うっそうとしていた大木も切り払われ、荒れ果てた姿となりました。
 戦後しだいに整備がすすめられ、高台一帯を日本庭園に造成し現在の鬼城公園となりました。

 この公園の桜は老木の為、木のお医者様に治療してもらっています。木に『樹勢回復養生中』の立て看板が目立ってますが今年も頑張って咲いています。