親友のお父さんが
数時間前に亡くなった

危篤の知らせを受けてから
親友家族のチカラになれること
たぶん全部やった

だけど
本当にそれが最善だったか
そんな問いが
帰宅してからぐるぐる




家族じゃないから迷惑かなと遠慮して
連絡をただ待つ
それがもしかすると
常識ある大人の対応だったかもしれない

けれど
わたしにはそれは出来なかった

ツライとき
わたしに連絡をくれた意味を考えたから

それはきっと
後々のわたしのキモチを
考えてくれての行動だと思ったから

それはきっと
来て欲しいような
来て欲しくないような
そんな複雑なキモチだろうと思ったから

結果
駆けつけて良かった

気丈な彼女が
私が居たからこそ
泣くことができたと思うから

これからの段取りをする時
家族じゃない私がいたからこそ
冷静でいられたと思うから

いろいろ振り返ってみて
今思うことは

やっぱりあの時
遠慮しないで駆けつけて良かったな

おじちゃんに最後のお別れができたし
何より
親友がツライときに
側にいることができた
これが1番大きいな






文がおってくれて良かった
ありがとう

別れ際
彼女と彼女の家族が
わたしに掛けてくれた言葉は
帰りの車でわたしを号泣させた








いのちの終わりに居合わせ
強く感じたことは

いのちには終わりがあること
いのちは自分の大切な人の希望でもあること
いのちは輝かせてこそのいのちだということ
生きた証は他人の記憶の中に残り続けること

いのちの終わりは
亡くなった人を大切に想う人たちが
その死を背負って生きる始まりなんだな

何だかとても
苦くて
だけど
あたたかいキモチ

いのちって不思議




おじちゃん
どうか安らかに…
今までありがとうございます

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