今夜はこれを…
子供さんが居る人には、イイかもしれないと思う。
まず、先に言いたいことから書いておく。
子供さんに
「お勉強とゲームで似ているトコロって何かある?見つけてみてよ?」
と、聞いてみて欲しい。
「教えてくれないかな?」
と、頼りにしてますっていう感じで聞くのもアリだと思う。
ただ聞いて、答えを聞くだけ…それでイイ。
あとはただ「ありがとう」と。
自分で見つけてもらう、そこがポイント。
押し付けではなく。
自分で見つけると興味が出るものだから、聞くだけで充分。
…わたしは、勉強が出来る子だった。
でも親から「勉強しなさい」と言われたことは一度も無い。
いつもいつも勉強という名前のものをしていた。
楽しくて、楽しくて…やめられない。
勉強=ゲーム
わたしにとっては、勉強がゲームだった。
まず…幼稚園に入る前の歳の頃、文字が読めた。書けた。
そこは、2歳上の姉のおかげ。
親から褒められたくて…姉より先に読めるように、書けるようになった。
午前中はひたすら、15分間の教育番組を見る。
「おやつの時間、まーだー?」
と聞く。そうすると
「あと2つ見たら、おやつの時間だよ」
とか…母から返ってくる。
まだ読めない時計を見る。
「今、何時?」
と聞く。
時計の針の場所を見ながら、読み方を聞くから…
幼稚園に入る前から完璧に時計が読めた。
発音もバッチリ!
じゅうじじゅっぷん…とか。十の使い方、分の使い方もマスターしていた。
午後は近所のお友達と遊ぶか、本を読む。
家中の本を読んで、読む物が無くなると同じ本をまた読む。
気が向いたらおもちゃで遊んで、気が向いたら本。
母親が部屋が散らかるのが嫌いで、おもちゃの数は少なかったと思う。
あとは、場所を取らないぬりえとか…だったかな。
そのぬりえで、色彩感覚は身に付いた。
そんな生活に飽きた頃にちょうど入園。
幼稚園にはたくさんの本がある。
友達と遊ぶより、本。
自分のクラスの本を読み終わったら、隣のクラスの本まで読んでいたな(笑)
そうしたら「お友達と仲良くなれない子」になっていた。
わたしに「友達は必要なかった」
普段、友達とコミュニケーションを取らないものだから…人に合わせられない。ケンカばかり。
わたしは常に、自分にとって楽しいもの・面白いものを追求してやっていたから…友達と遊ぶことが楽しくなかっただけ。
そもそも、そんな友達と、合わせる必要性を感じなかった。
本の世界は面白い!とかではなくて、ただ新しい物を読むことが好きだった。自然と知識は身についた。
家に帰ると、2つ上の姉は小学生。
今度は姉の教科書。隅から隅までひたすら読む。
何度も読まなくても知識は入ってくるんだけど、それでも飽きるまで繰り返し読む。
だから、勉強が始まる小学生になるまえに、もう知識は得ていた。
そういったことが、中学生まで続く。二学年先の教科書が読める。
そうすると、自分が受ける授業は復習となる。
完全に頭に入っている。
つまらないなぁ…と思っていた小学二年生の頃、ファミコンが流行っていた。男の子たちの間で。
女の子との付き合いには既に面倒くささを感じていたから、遊ぶのは男の子ばかり。
「ファミコン欲しい」
と言っても、
「あれは男の子の遊びでしょう?それよりも女の子と遊びなさい!」
買っては貰えなかった。
ここからである。
どうしてもやりたいファミコンと、同じ要素を勉強に見いだした。
この方程式を覚えると、似たような問題はすべて解ける。
本番はテストだと思っていたから、似たような問題をひたすら解く。クリアのための練習。
どんな問題が来てもいいように、自分で問題を作ってテストをしたり…その面をクリアするためにひたすら努力した。
そして…テスト本番。
大概95点以上。
でも、納得出来ない。クリア出来ない問題があったから。
だから、また何度も何度も練習する。
それを繰り返していたら、市で三番とか。
でも、またそこで喜べない。
だって、解けない問題があったから一番じゃなかったんだもん。
ライバルは他人では無かった。
過去の自分の成績がライバル。
ゲームって、当時のファミコンは技を覚えてクリアしていく。
勉強がゲームになったわたしも同じ。
方程式や文法・単語を覚えてクリアしていく。
クリアにこだわる、ただそれだけ。