愛について語れるほどの経験値、本当は無いんですけど。
ふじこです♪

みなさんには「愛している」とはっきり自覚できる相手はいますか?
恋愛に限りません。
家族でも、ペットでも。

今日はそんなクサいところから(笑)
考えたことがあるので、つらつら書いてみようと思います。


私は素直に「人を愛している」となかなか思うことができません。

その前に
「だけど相手はどう思うだろう?」
とか
「自分ばかり愛していて気に食わない!」
とか反発するような感情が湧き上がってしまうのです。

しかし、反発したって本当は仕方がないのです。
こちらは愛してしまっているのですから。
それに対して、相手が自分をどう思うかなんてこちらがコントロールすることはできません。

相手から同じだけの想いが返って来ないからといって
「じゃあ自分ももう愛さない」
なんて、それも難しいじゃないですか。

単純な「好き」以上の重さを胸に抱いてしまったのなら、簡単に切り替えることなんかできませんよね。

それでも私は未熟なので、悔しく感じてしまうのです。

さらに、愛情をその相手に隠すことができているならいいですが、並々ならぬ想いが相手に伝わってしまっている場合、なおさら悔しいです。
「どうして私ばかりこんなにこの人を愛しているんだろう?」

とにかく、私の場合は素直に人を愛することに抵抗があるのですね。
みなさんはどうですか?


特別に想う人が複数いる時、私はさらに愛することを隠し、葛藤し、躊躇います。

例えば極端な話、愛する男性が2人いたとします。

彼に対する想いと、別の人に対する想いに順位はあるのか?
そもそも比べるべきではないのではないか?

この人との関係は何という名前で、もう一方の人との関係は何という名前だろう?
同じなのか、違うのか。
彼は『親友』として愛していると言える、彼は『恋人』として愛している、と必死に「関係の名前」を探します。

おかしな考えですよね。
「愛の種類」を見極めようとするのです。

そもそも、愛情に種類なんてあるのでしょうか?
どの人もただシンプルに特別なことに変わりはないのではないでしょうか。
そこにそれぞれ名前を付けることなんて、複数を愛してしまっている言い訳に過ぎないのではないでしょうか?


おかしなことをぐるぐる考えながら、ある時思いました。

わたしは思うより多くの人を深く愛していて、それぞれの愛の深さや種類って実はそんなに変わらなくって、あとはやっぱり自分がどういう名前の関係を選び取るか、なのではないかと。

それでいいのではないかな、と。

「関係に名前を付ける」という行為は、人間の理性の部分にかかっていてそれは自分で考えることができる。

それが『家族』としてなのか、『恋人』としてなのか、『友人』としてなのか、『仲間』としてなのか、『パートナー』としてなのか。

それは理性的な選択に過ぎない。
被せることもできるし、その人との関係は唯一無二としても良い。

だから、怖がらずに人を好きなだけ愛してみたらいいんじゃないのかな、と。

「この人とはこういう関係じゃなきゃいけないから、別の人のことは愛しちゃダメ!」

ということは、特にないのかもしれません。

私の愛する人達はみんな懐が深くて、私以上に愛情深いです。
だから彼ら彼女らには深く愛し合い繋がり合っている人達がたくさんいるのでしょう。

絆を結んだ人がたくさんいるってとっても素敵です。

人のことはそんな風に肯定できるのだから、私もそんなふうでいいのだと思います。


ただこれって、恋人がいて旦那さんもいて愛人もいてOK、という話ではありません(笑)

恋人がいたって男友達が大好きでもいいよね、そこで友達との関わりを躊躇う必要ってないよね、という話です。

もし恋人や配偶者を複数持ちたいという方がいるのなら、それはあくまで関わる人たち全員の合意を取ることが誠意なのではないでしょうか……。
そうしたいということが悪いというわけではありません。
一夫多妻制の国で、しかも奥さん同士みんな仲良し円満、という家族だって現実にあるでしょう?

かつては日本でもお妾さんや側室さんは認められていました。
現代ではなかなか理解を得るのは難しそうですけどね♪

ともあれどのような名前の関係でも、人を愛することができるって素敵なことです。
だから愛することを躊躇わない!


少しぶっ飛んだお話だったかもしれませんが、今日は以上です!

ありがとうございました。


ふじこ