初めての記録〜子育て、旦那、愚痴、独り言その他毎日のできごと -3ページ目

初めての記録〜子育て、旦那、愚痴、独り言その他毎日のできごと

最近東京に越してきた慣れない毎日のできごと。
父のピロリ菌陽性から自身のピロリ菌検査に始まり日々の悩みや愚痴や色々を。


私はずーっと勉強が嫌いでずーっと勉強してこなくてずーっとテストは一夜漬けだった。
高校を卒業する前の受験シーズンには

進路どないしよかなぁ

なんて一人のんきにまだぼんやりとしか考えていなかった。

高校一年生のときの、担任との二者面談。

「どーするんや。将来。」
と学年主任の担任。
「看護婦さん。」
ものすごい適当そうに答えたけど、本当はむちゃくちゃ勇気を出して言った。

ものすごいどんくさくて 人と接するのも苦手な私に「看護婦さん」というのは
この世の中で一番むいていない職業。

わかってます。わかってますとも。
自分が一番わかっています。

でも、だからこその向上心だかわけがわからんけど
何故かものすごく その職業にひかれていた。
小学校の卒業アルバム。
なりたいもの に 「看護婦さん」

昔 竹下景子がやっていた看護婦さんのドキュメント番組がよかったからかなぁ…

「熱っぽいの」のナンノか?

ふるっ

 まあ、なにはともあれ勇気を出して言った。

そしたらあっさり
「やめといたら?お前は人を助けるより殺してしまいそうや」
と言われた。

「へ?  あ、そう やっぱり…?
  ほな将来なんて…わからん」
かなんだかを答えて その後どうやって面談を終えたかは覚えていない。

けど、一年生のその瞬間以来、将来の自分を考えることをやめて 勉強もますますしなくなった。
勉強をしないための 最も都合のよい理由ができてしまった。

何でなんっ!?
そんなん言われたら腹立って逆に
「絶対なってやる!」
て何でおもわへんのっ!?

今の私がそのときの私に会えたなら迷わずにそう叫ぶ。

でも自分にも何にも自信がまるでなかった私は、
しかも自分が一番そう思っていた私は
担任のその言葉を深く深く飲み込んだ。

そんでもって三年生の進路決定のとき
担任に どないするか聞かれて
「フリーター」と適当に答えた私に
担任は、
短大でも受けとけ。
短大行ったらまたそこで先のことを考えられるから。
と。

ほな受けてみよう。
と、受けた。
ら、受かった。

頑張って勉強して受かったところでは無いけれど、私は行きたかった。
行って自分の将来のことをちゃんと考えたかった。
んなら高校でちゃんと考えとけよっ
てことはわかってる。自分がダメすぎたけれど、でも、やっぱりもう一度、ちゃんと考えたかった。

母親に
受かったから行きたい
と話した。

…ら、なんと父親が突然仕事を辞めた
と聞かされた。
我が家のバブル崩壊期…
そんでもって
「行くのなら家を売って行けばいい」
と。

だから家を売って短大へ行った!
なんてことはやっぱり無く 短大は諦めた。

そこからは担任に言った将来を貫いてフリーター。

パチンコ屋さんでアルバイト。

父親が就職をすすめてきた。
「いい話がある」と。

私は腹が立った。
酒を飲んでいたこともあって短大を諦めたいきさつを話した。話して責めた。

けど頑張って受かったところじゃないからしゃあない 頑張って受かったところやったら家売ってでも行かせてくれっ!て言うてたけどな
とも言った。
父親は
「母さんがそんなことを言ったのは知らなかった。言ってくれたら金は工面した。頑張って受かったかどうかは関係ない。行ってからどうするかに意味がある。だからお前は短大に行くべきだった。」
と。

それを聞いたら なんというか
今まで「頑張って受かったところじゃないから」と言い聞かせていたことがくつがえされて
行けなかった悲しい自分になんて言い聞かせたらよいかわからないくなって

父親に何で相談してくれんかったんや
と母親を憎んでしまったりした。

父親には
「今のまま就職をしたら 就職先で何かあったときに あんたはんらのせいにしてしまう。短大に行けんかったせいにしてしまう。ワテはアホやから絶対そうしてまう。せやから
短大に行けんかったからコソを見つけるから それまで そっとしといてくれ。」
と頼んだ。

二年後には妹の高校卒業、受験シーズン。

妹は受験シーズン手前に出会った美術の先生の授業を受けてから 美術にとてもひかれたらしい。

でも受験シーズン目前だから受かりっこないけどとりあえずその先生にみてもらいながらデッサンの練習をしていた。

美術短大に合格した。

「よかったがな!」と喜んでいた。
わずかだけど妹が学校に行きたいと言ったときのためにお金を貯めておいた。

私は念押し母親に
妹がどんな学校に行きたいと言っても
いいよ
て答えてくれ!
金はワテも出す!だから絶対に
いいよ  だけを答えてくれ!
と頼んでいた。

妹は受かって喜んでいるはずだとばかり思っていた。
私はバイトをしていたので何も知らなかったがある日家に帰ると妹の姿がない。

妹は自分の部屋にいた。

部屋で布団の中で泣いていた。
父母いはく この日も前の日も泣いていたらしい。

「あんた、どないしたん?」と私が聞くと
しばらくして妹が答えた。
「短大には行かへん」

「何でやねんっ何ゆうてるねんっ!?」
わけがわからなかった。

妹は
「あんたは 頑張って受かったところじゃないから行くのを諦めた。私かて頑張って受かったところじゃない。あんたが行けへんかったのに自分だけ行くなんておかしい。でけへん。」と。

何でやねん アホかいな
ワテ、父親と話しておいてよかったよ…
父親よ、このときだけは礼を言う。

「あんたは期間は短くても 行きたいと思った瞬間から頑張った。しかも頑張ってなくても行ってからどうするかが大事や て父が言うてた。ワテもそう思う。あんたは行くべきや。行かないかん。」

しかし妹は
「けどあんたは行けんかった。」と。

「ワテはな、行けんかったからコソの何かを見つける。」

そんでもって妹は無事に短大に行った。
よかったよかった。

そんでもって私は なが~く時間がかかったが25歳のときに

うわっ気付いたらこんな年やがなっ
目先の金にとらわれてバイトに明け暮れてしもたがなっ
と焦って
焦ってたあげく出した答えは やっぱり
「看護婦さん」
一回目指してみて あかんかったら諦めよう

でも私は 学校の受け方やら受験の仕方やら自分ではよくわからんから
周りになった人がいっぱいいる病院に飛び込んでみよう!
と決意して……おそっ

遅いが、病院の助手業務の正職員になった。

「何でこの仕事選んだん?」と看護婦さんに聞かれて
「小さい頃、なりたいもの に看護婦さん て書いてまして…」
と勇気を出して 言ってみたら

「そうなん?ほな今からなったらいいやんっ!」
とあっさり言われ
その言葉に背中を押されるべく
次の年に准看の学校を受けて受かることができた。

そのとき母親が
「妹が、短大に入ってアルバイトをしてからずっと、あんたがいつか学校に行きたいと言ったときに使ってほしい と毎月お金を渡してきてた。このお金で行きなはれ」
と言った。

私はそんなこんなの重たいお金で行かせてもらったおかげで、辛くて投げ出し逃げ出したかった実習も投げ出さず逃げ出さずに行くことができた。

20歳のとき、一度立ち止まって自分の先のことを考えた
そのとき
学校を受けるなんてもう遅いしなぁ
と思って また日々のバイトに明け暮れた

20歳で遅いてなんやねんっ
アホやっ

諦めたときに全ての可能性は無くなる
諦めへん限り何歳でも可能性はある

35歳の今の私よ
諦めずに何でもチャレンジせえよっ

45歳の私に
35歳で遅いてなんやねんっ
アホやっ
て言われるぞ!