とんかつ合戦印 (森部の戦い) | とんかつおやじのブログ

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永禄4(1561)年、織田信長は西美濃を征服しようと、本郷村より長良川を渡って森部村に進出、斎藤龍興の軍と戦いました。
斎藤軍6千に対し、織 田軍1万5千で対戦。

墨俣の下宿から押し寄せてきた斉藤軍を織田軍は、味方を三手に分け敵をはさみうちにして破りました。

この戦いで前田利家は、以前からの勘気を解かんものと、一番に敵陣に討ち入り、首とり足立と恐れられた足立六兵衛(後に信長が足立の首は、城一つ攻め滅ぼしたも同然」といわせたほどの猛将)ら二人を槍で打ち取り信長軍への帰参がようやく帰許されました。従って利家にとっては出世の門出となる戦いでした。
 森部城主河村久五郎らの働きにより、斎藤軍の戦死者320人に対して織田軍はわずかの死傷者で大勝利でした。
その首実験をしたのが薬師堂前で、戦死者が祀られています。

「鎧掛けの松」は首実験のおり、信長公が鎧を掛けた松と伝えられています。現在は、二代目の松になります。

 

(岐阜県観光連盟 HPより)