土岐氏武将印 10 頼明公と頼香公 | とんかつおやじのブログ

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土岐 頼明(とき よりあき)は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての武将。土岐頼貞の十二男(末子)。兄弟に頼清、頼遠、長山頼基、頼兼など多数。

父と共に初めは鎌倉幕府の執権北条得宗家、および六波羅探題に仕えていた。後に後醍醐天皇に呼応して、足利尊氏に仕えて各地を転戦した。

興国3年/康永元年12月1日(1342年12月29日)に、美濃守護であった兄頼遠が、光厳上皇に狼藉を働いたことに激怒した足利直義に捕らわれて、京都六条河原で処刑されると、その後を継いだ甥の頼康を補佐しながら、北朝方の高師直に従って転戦した。

正平3年/貞和4年(1348年)に、河内国の四条畷で、南朝方の楠木正行と戦って、戦死を遂げた(四条畷の戦い)。(Wikipedia)

 

 

 

 

土岐 頼香(とき よりたか)は、戦国時代の武将。通称は八郎。土岐政房の八男。

天文13年(1544年)9月、美濃と隣接する尾張を統治していた戦国大名・織田信秀の美濃侵攻によって起きた戦(無動寺城の戦い、松山の戦い)の際、舅である斎藤道三に与して戦っていたが、無動寺城にて、土岐氏を潰そうと前から目論んでいた道三から亘利城主・松原源吾を刺客に差し向けられ、寝所に乱入されたため、自刃した。

 

無動寺城 

 
 
 
これにて 土岐氏武将印は 完結となります ウインクウインクウインクウインク
 
次 土岐氏武将印 最終回は・・・整列記念撮影となりますヨー 
 
次の計画も進行中かな テーマは・・・内緒 
 
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