地元の山城らしきを遺構を訪ねて歩く
またまた M氏の発見?
仮称 岩利東山城?
今回は岩利城のみとなりますが・・・
そのうち機会を見つけて チャレンジしたいデス
↓岩利八幡宮・天満宮の麓路肩看板より
↑画像左
永禄十年 織田信長は岐阜城主となる。
その家臣・塚本小大膳に
①美濃国岩利村と佐野村を領地として与え
②岩利村の東山にある「城が峰・188m」の砦を、岩利城主として守護を命じた。
③伊自良川に「筏と船着き場」を岩利村の本郷に設置した。
塚本小大膳は、④更に佐野村に七町歩(㌶)の馬場を作り、馬術に巧みな騎馬隊を作って、⑤織田信長に従って、
各地で戦いを続けた。
↑画像右
天正十一年(一五八三年)六月、池田元助(輝政の兄)は、岐阜城主となって、天満宮を洞の山麓に建立した
①天正十二年(一五八四年)四月徳川家康は、豊臣秀吉の兵を尾張・長久手で破った。
この時②池田元助は豊臣方に味方して戦死した
③岩利城の兵も破れて、岩利まで逃げ帰り北洞の山中に隠れた。
④家康方は、岩利城と、その館・安楽寺を焼き払った。
↓「美濃國諸舊記」より
↓安楽寺の裏山を軽く 登り
↓尾根にトウチャク
↓尾根先に向かう道
↓堀切?
岩利城が推定地なので こちらが岩利城で 麓は館ではないかな?と オヤジの勝手な推測
こんな感じで 入りました