初めて痴漢に遭ったのは中学時代の山手線。

しかも数本の手が一気に触ってきた。

ビックリした。

友達と次の駅で降りた。


それからは少しでも空いてる電車を待ってドアに背中を向けて乗るようにした。


高校生になり決まった時間の満員電車に押し込まれ身動きも出来ない。車輌を変えても毎日のようにケツを触られた。


電車を降りて改札に向かう時、知らないオバサンに「あなた引っ掛けられてるわよ」と声を掛けられた。スカートに糊のような精液を掛けられてた。トイレで拭いて学校へ行き、乾いた精液は真っ白く汚れて広がってた。


予定のない暇な日の帰りの電車で触られた時は逃げる犯人を追いかけ回して捕まえてボコった。


ケツの後に腰辺りを触れられた時はポケットに聖徳太子の一万円札が入ってた事もあった。


まだスカートが長い時代だったから直接触れられる事はなかったのに、ご丁寧にスカートを引っ張り上げて下着に触れた男を捕まえた。周りの協力も得て駅員室に行き警察が来て事情聴取された。そして学校は遅刻になった上に「お前に隙があるからだ💢」と怒られた。痴漢を捕まえると面倒くさいと学んだ。


それ以来触れてる程度の痴漢に遭っても「ケツくらいなら触っとけ」と気にもしなくなった。だって毎日なんだもん。

時々大胆に触ってくる痴漢には制服の袖口に忍ばせていたまち針📍を刺してた。「ウッ」とか「痛っ」と言って痴漢の手は離れる。



社会人になり朝の山手線の中で何人かに思い切りケツを揉まれた。機嫌の悪かった私は「触ってんじゃねぇよ💢」と言った。1人の男がカミソリを出して私を怒鳴り脅かした。その頃の私はカミソリなんて怖くなかった。殺りたきゃ殺りゃいいじゃん。

でも男と私の言い合いとカミソリに気付いた周りの人達が全員一斉に背中を向けて、ギュウギュウな満員電車だったのに私達の周りは半径1メートルくらいの空間になった。その人達の背中を向けて離れた光景に恐怖を感じた。次の駅でカミソリ男は降りた。背中を向けた男達全員が敵に見えた。お前らの中にも触ってた奴いるよな💢


次の日の朝、最寄駅から池袋までの準急電車の中で女性2人が大きな声で子供の中学の話をしてた。突然心臓がバクバクして意識が飛びそうになった。女性達に「すみません。気分が…」と助けを求めるとバッグと傘を持ってくれ、ドアに寄りかかれるように周りの人達に声を掛けてくれた。

新宿まで行かなきゃいけないのに呼吸も苦しくて、いつも支店長が早くに出勤している池袋支店に電話をして「今池袋。気分が悪い」と言うと「2分頑張れるか?早く来い❗️」と言ってくれた。「本社には連絡しておくから」と相談室で寝かしてくれた。


それから準急に乗れなくなり、早くに家を出て各駅下車で通勤し、帰りの山手線に乗れなくなり、友達に車で送迎して貰ったりタクシー通勤が多くなり、新宿に住んでた男が留守の時はそのマンションから通ったり。

それでも通勤の予期不安で休みがちになり、半年の長期休暇を取らせて貰う頃には家を出ることすら怖くて引きこもりになり、友達が夜中のコンビニに行くリハビリに付き合ってくれたお陰で少しずつ復活して外に出られるようになった。



昼の会社も夜のお店も仕事中に気分が悪くなる事はなかった。ただただ知らない男達に埋もれて電車に乗るのが怖かった。夜のお店の客の新宿や銀座の会社の駐車場に車を停めさせて貰い自分で運転して通勤するようにした。池袋支店の応援の時はタクシー移動🚕自宅から本社の交通費を支給されてるのに定期買ってない。いつ副業禁止の会社にバレるかわからない。


会社を辞めて夜の仕事、水商売はヘルプから本業になった。



あの日に何人もの痴漢に遭ってなければ知らない男達の中に埋もれて電車に乗って不安を感じる事はなかった。



痴漢は人の人生を壊してしまう迷惑行為。勝手な線引きだけどオヤジ狩りやイジメは別として、お互い理由があって喧嘩しての傷害や意図せず起こしてしまった交通事故の前科があっても聞き流す。でも痴漢や強姦とか猥褻行為と覚醒剤はアウト。どれだけ私が引きこもりで辛かった時に支えてくれてても「やめろ💢」と言ってたのに覚醒剤で捕まった男とは何十回電話きても会わなかった。逮捕されてから殺されるまで4年、おばさんのお通夜で会って少し話しただけ。痴漢した知り合いはいない。






私は痴漢をする鬼畜を人間だと思っていない