その日の電話で父が言った。
朝起きたら肩が痛くてなあ。
痛くてとても起き上がれなくてなあ。
それでも何とか(ベッドの)手すりを持って起きたんだよ。
うん?
朝起きて痛かった?
寝違えたとか?
寝違えたのか分からんけど痛くて、薬を貰ったんだけど、それが効かんのだよ。
効かない?
……そう……。
翌日の電話でも同じ事を言われた。
そして次の日。
今日、病院に行ったらなあ、骨折してたよ。
骨折ううう!!!?
寝てただけなのに?
骨があるだろ?
肩のところに。
肩甲骨?
肩甲骨……それは背中だろ?
背中じゃなくて、前。
あ、鎖骨?
そうそう、鎖骨。
それが折れていて。
何で折れたん?
骨が脆くなっているって。
え。
じゃあ、骨粗鬆症?
あー、それだ。
健康診断の結果は報告してくれていたけど、骨密度は測定していなかったと思う。
男性だからかな?
でも、鎖骨を骨折って…何も出来ないよね?
そうらしいんだよなあ。
その次の日。
いつもは私の方から夜の8時になったら電話をしているけど、昼間に父の方から電話があった。
珍しいこと。
もしもし?
どうしたん?
痛くてだなぁ!
痛すぎて今日は電話は無理だ!
今から病院に行く!
じゃあ、切るからな!
分かった。
父の電話の向こうで女性たちの声がした。
施設の方が父の部屋から、弟に通院の許可を求めていたのかもしれないと思った。
次の日の夜、電話を掛けて分かった。
腰の骨が折れていた。
腰いいい!!?
今、ランドセルみたいなのを背負っている。
……骨が脆くなっているから……圧迫骨折……。
今、痛い?
あー、痛いなあ。
まあ、でも、じっとしていると痛くないな。
動く時に痛いな。
立つ時とか座る時とか。
お風呂は入れる?
ああ、椅子に座ったまま機械で浴槽に入れてもらって、体を洗ってもらえるけど、水曜日と土曜日の週に2回だ。
週に2回……刑務所がそうだったような気がする。
夏でもエアコンが寒いと言って長袖を着たり、ベッドの足元で使う電気アンカで手を温めたり、夏なのに使い捨てカイロを買って来てくれと弟たちに頼んだり、とても寒がりだった父。
お風呂好きでもあった。
鎖骨と腰の骨折で、痛みもあり更に動きにくくなった体。
父も落ち込んでいた。
でも、一日中のたうち回る痛みではないから大丈夫だろう……と私は考えていたが、それは間違いだった。
父は打たれ弱かった。
父は85歳でも、健康体操、太極拳、クランドゴルフと週に5日運動をする人だった。
脊柱管狭窄症はあったけれど、60歳でタバコを辞めて、お酒はアルコール過敏症があるから飲まなくて、甘い物は好きだけれど糖は正常値。
飲んでいた薬は、逆流性食道炎、下剤、睡眠薬、血圧、前立腺肥大の薬だけ。
去年の1月に、口内炎がずっと治らない、は聞いていたけど、歯科医から大きな病院で検査をするように言われて、口腔ガンが発覚。
でも、初期の初期。
3月に手術で取って、その後、月に一度の定期検診に行くけど再発せず。
再発が確認されない度に
良かったね。
と言う私に
いやー、本当に良かったよおー。
と、心の底から安堵している様子だった。
その手術も、最初は受けない、とかなりゴネていた。
手術をすごく怖がっていた。
手術を受けない?
何で?
癌って、分かっているんだよ?
癌は大きくなるばっかりで、今日が一番小さいの!
手術の日だって、弟が仕事を休める最短の日に決まったんでしょ?
でもなあ……寿命が先に来るかもしれないだろ?
はぁ?
お爺ちゃんの心臓がいつ止まるかなんて分からないでしょ?
口の中だよ?
どんどん大きくなって、そのうちに物が食べられなくなるよ?
転移するかもよ?
転移する先によっては、それこそ24時間激痛だよ?
その時に手術ができるとは限らないんだよ?
一日中痛みにのたうち回って、手術もできなくて、心臓も止まらないから〇ねないんだよ?
手術じゃなくて放射線とかの治療もあるんだろ?
あのねえ。
放射線の副作用、めっちゃキツイんだよ?
副作用がキツくてやめる人もいるくらいなんだよ?
放射線の治療を受けるくらいなら、癌で〇んだ方がマシだって言って。
あ、ご近所の奥さんね、乳癌で、医者は切りましょうと言って。
でも本人が手術で切るのは怖いから嫌だと言って、切らないと言ってくれる病院を探して転院して、放射線治療とかやったかもしれないけど、結局、若くしてすぐに亡くなったんだよ?
残されたご主人が悔やんでいたよ?
あの時に切っていれば今頃、生きていたかもって。
そりゃあ、誰だって手術は嫌よね。
麻酔しても、その後、痛みがあるから。
年齢が90だから、心臓が麻酔に耐えられるかどうかという判断も必要だった。
循環器の医師の判断は手術OKだった。
そりゃあ、やるべき。
通院も手術の付き添いも私はしていない。
実家が飛行機の距離なのと、私には主人の介護があった。
父の事は、全て弟ファミリー。
大事な医師との話は、必ず弟が付き添っている。
その度に私にも話の内容を教えてくれたし、医師に尋ねたい事があるかどうかも前もって聞いてくれた。
弟ファミリーは、本当によくやってくれた。
常日頃からの父の生活全般において。
感謝しかない。
父はそれまで病気とは無縁だった。
だから尚更怖がったのだと思う。
白内障の手術を母は受けた。
父は受けなかった。
その眼科は年配の院長先生と若い医師の二人体制だったそうで、若い医師から言われたそうだ。
手術をするか、眼鏡にするか、です。
どうしても手術をしないといけませんか?
その判断は、院長先生がされます。
というやり取りがあったと電話で聞いていた。
次に私が聞いたのは
眼鏡を買ったよ!
6万円もして高かったけど、良く見えるぞぉ!
え。
手術じゃなくて眼鏡?
手術か眼鏡かと言われたんだから、眼鏡でいいだろう?
その判断は、お爺ちゃんじゃなくて、院長先生がするんじゃなかった?
うっ。
……まあ、良いけどね。
お爺ちゃんの目だから。
結局、あの後、眼科に行っていないんでしょう?
行っていない。
やっぱり。
次に眼科に行って手術だと言われるのが怖かったから眼鏡を買って、もう手術の話は出さずに、今後は白内障の目薬だけもらうつもりだ。
まあ、目が見えるのなら眼鏡で良いのだけどね。
こんなに怖がりの父が骨折した。
私も足の小指を骨折したことがあるけど、陣痛の痛みに比べたら痛みのうちには入らない。
私なら鎖骨と腰の骨折の痛みでも平気だったと思う。
でも、父はそうではなかった。