雨です。
秋です。

この季節は私にとって、こころがフワフワする
不思議なシーズン。
毎年大きな出会いがあるのは、なぜか秋。

さてさて、今年はどんな出会いがあるでしょう。

「秋」といえば読書ですが、活字中毒者としては
今、なにを読んでいるかとブログに書くのが億劫になる。

でも、この文章は今後の自分にとって
ぜひぜひ書き留めておきたい!


奇妙な果実


歌うって、なんだろう?

私はときどき、そのことを考えます。
ここにも、その答えが書いてありました。



子供のころに聞いた、ベッシー・スミスとルイ・アームストロングのレコードを除いて、後にも先にも私は、他人から影響をうけたことがない。私はいつもベッシーの大きな声と、ルイのフィーリングを、求めていた。若いファンはよく私に、私のスタイルがどこから出て、どう発展したかと聞く。何と答えられよう? もしここに曲があり、それを歌いたくなったとして、何を考えて歌い出すのだろう。考える必要はない。ただ、感じとればよいのだ。その感じたものを率直に歌えば、聞く人は何かを感ずるのである。
 私の場合は、考えたり、アレンジしたり、練習したりするなどということは不要だ。感じることができる曲だけが必要なのだ。これは勉強、というようなものではなかった。時には私があまりに感じすぎて、歌うことすらできない曲もすこしあるが、それは又別の話だ。




この世の中に、二人の全く同じ人間が存在するわけがない。音楽であろうとなかろうと、この道理は、かわらないわけだ。
 私はある時テレビで見た、あの素晴らしい老パブロ・カザルスの言葉を忘れられない。
 バッハの曲を弾き終った時、アメリカの女アナが気取ってインタビューした。
「あなたは、いつも違ってお弾きになりますね」
「それは違うのが当然なのです」彼はいった。「どうしてそれが不思議ですか? 自然がそうなのです。私たちは自然ですからね」
 その通りだ。私たちは過去の自分にすらなることができないのに、まして別人などになれるものではない。
 私は二晩つづけて、一つの歌を同じように歌うことはできない。まして二年も十年もたっては絶対である。もしそれができるようなら、それは音楽ではない。それは機械か、練習か、ヨーデルか、とも角音楽というものじゃない。




音楽=生き方
ならば
歌=自分がつくりだすもの
に変換できると思う。

人間関係であれ、仕事の成果であれ、自分がなにをやるかはすべて歌なんじゃないかと。
そして、これから何をやろうか、と思い描くためには、自分は何を感じてきたかを自分に聞く必要がある。
私にはこの作業はとっても重要で、また、仕事にも、プライベートにもとっても役立っているなあと思います。
どのメディアにも、自分の進むべき道は記されていないし、ましてや、自分が感じていることなんて誰かに分かるわけなんてないし。誰かだったらこうするだろう、なんて賭け事は私には怖くてできません。
「私たちは自然ですからね」とはまさにそうで、自給自足の時代であれば、自分の命を守るために自然に対する感度が高まるように、今この時代は情報のジャングルだと考えれば、自分の命を守るために必要な情報が何であるか、必然的に情報に対する感度があがると思うんです。その意識を持つのと、持たないのとでは数年後、確実に差が出る。
ただ、明日死ぬかもしれない、という時代でもないから、自分が大切にしたい命って今は仕事だな、とか、家族だな、とかどんな情報に敏感かということは、すなわちその人が今何を大切にしているか、ということになるっつー当たり前のことを思ったり。
ただ、ビリーが「感じることができる曲だけが必要」と言い切る意味は、本当に大きいなあとため息が出ます。

人は比較でしか、幸福を知る事ができない、といいますが
この人のどん底は気楽に生きる私には想像もできないどん底ぶりで
このどん底が、彼女に歌を歌わせる動力になっていた、
と考えると、この人の感性の研ぎ澄まされ加減は、当然私なんかには想像できない。

偉人とはまさに、こういう人のことで
まったく自分のちっちゃい人生がほほえましいです。

平日も休日も、打ち合わせ続きで
本当に最近は、ビリーの曲を聴くこころのゆとりすらない。
あさってから、家の解体が始まり、
今月中に設計図を決めなくては!

見積もりもでるぞ。きゃー
オウチまるごと How much?

まず、今は家のプラン!
ふふふ、でも最高の親分がついてくれたので
いい曲があがりそう。

メンバーが集まると、誰かが曲をハミングする。それを誰かがピアノにのせて一、二回弾く。すると誰かがそれにリフをつける。最後に親分のベイシーが一寸手を加える。これで素敵な演奏が出来上がるのだ。楽譜があったとしても、メンバーの半数は読めなかった。どっちみち手のかかることは嫌いなのだ。(省略)すべてのことは耳に基づいて行われる。私がいた二年間、バンドには約百曲のレパートリーがあったが、最後の一音に至るまで、全員が頭の中におぼえこんでいたものだ。



これを幸せというのかな、
と私が感じるとき。

それは時間がゲル状になって
肌の上をさわっていく感触があるときです。

1秒がいわゆる1秒ではなく
好きなように1秒が流れていってくれる感じ。
悲しかったり、楽しかったり
つらかったり、くすぐったかったり。


何を見るか、何を聞くか、
人、場所、物など
特定の信号を受信する空間に身を置いたとき
そのスイッチはオンになる。

あとはもう、言葉を発する欲がなくなっていくだけ。
頭の中は、からっぽに。
心の中は、まんたんに。



先週、目黒川を家族で歩いてきた。
なにか用事があったわけでなく、
パパと中目黒の空気を確認するために。

なんですか、このゲル状具合は。

中目黒の空気を確認しにきたのは
これで2回目。

1回目はひとりで。
パパが見に来る前に、無意識のまま
土地の申し込みをしたとき。

物件の手続きで数回きたけど
パパと一緒に、空気の確認にきたのは
先週が初めてだった。

ぶらぶらぶらぶら
ときどき、桐と葉っぱを川に流したりして
また、こころから純粋に
ぶらぶらぶらぶら。

パパにどお?
と聞いたら、
いいね~コナミスポーツがある。
ってなんじゃそりゃ。行かないくせに。
パパの場合、マジでそれが理由だったりするからビックリだ。
でも、微笑んでいたから
きっと感じている量に違いはあれど
同じものを感じてくれていたと思う。

南青山店はたまに行く古本屋COWBOOKS本店で
当時とても気になっていたのに、結局読んでいなかった
ダグラス・クープランドの
ジェネレーションX 加速された文化のための物語

と遭遇。
ひとり盛り上がって、後ろを向くと
即行つまらなさそうに外でタバコを吸うパパが見えた。
い~ですよ。
いつかきっと、君もこの店に通うようにしてやる。



今日は、パパが新宿に来たというので
パークハイアットのデリのハンバーガーを食べさせた。
ふたりだけで食事をするなんて
何年ぶりでしょうか。
「うめ~」
と大感激でたいらげるパパは、
会社のお金を稼ぐ方法はたくさん知っていて
自分のためにお金を使う方法を知らない。

さてさて、どんな家ができますやら。
来週、プランがあがってきます。



昨日から、なぜかきりちゃんがかけてくれる
平井堅が時間をゲル状にしてくれます。

ど~ん

ただいま~、といっても。
我が家には、誰もいません。

金曜日、なにをしても終わらない仕事を持ったまま
どったんばったんで、保育園からさらうように娘を連れ出して
いざ、鎌倉へ。

どうしても、どうしても、娘打ち上げ花火を見せたかったのです。
すでに住民の貫禄がついた妹が、浜辺の一等席をとっていてくれました。
妹手づくり、おべんと(サンドイッチ)付き。

さいこー

そろそろな時間になっても、なかなか陽はしずみません。
でも。

どーん。

昼と夜との曖昧な空気の中、
一発上がるとみるみる暗闇に。

それはもう、スゴイすごいの連続です。

浜の後ろには山?丘?があって、
跳ね返ってくる音が体を通って
光と音のお祭りです。

「きりのところにくるー。
 おうちにかえるー!」

と怖がってしがみついてきた、娘も

「きれいだったねー、きれいだったねー」

と大興奮。
夏休みが始まりましたよー。

翌朝、ふたりで海でちゃぷちゃぷして
即行だんなの実家へ。
4時間電車にのって、今度は山です。

お義母さんに、お線香をあげて
お坊さんとお参りをして
合間に仕事をしたりして
何時間もぶっ続けでPVみたりして
夏に負け気味の娘は熱を出したりして
青と緑と白の、夏休み1回目は終了です。

トニオとふたりで東京に戻ってきました。
会社には行くけれど、何日間か1人暮らし。

あ~、やりたいことがてんこ盛り!

まずはとっとこ、仕事を片付けて
2回目の夏休みに備えなくっちゃ。

やっぱ、音楽は最高です!
大塚愛ちゃん、PEACHいいねー
KORNのPVもいいねー
来週は、娘と二人でリズムの祭典・佐渡島へ行ってきま~す。

この夏のエネルギーを借りて
やれることは限界まで、やってみよー

どんどーん!