こんにちは、兎にも角にも です。外は暑そうですね。今日はトイレ回数🚽が多いです。出血もしているような…。頑張れ👍ヒュミラ &プレドニン。

これまでの経過の続きです。
2011年4月 お腹に膵液ドレナージ管をつけたまま退院したワタシは、実家にて療養生活を送っていました。会社は既に7ヶ月近く欠勤しており、早く出社したいなあと思っていました。

ドレナージ管は半年間留置しました、留置したままでも就業は可能とのことだったので、早々に復職を申請し、5月20日より職場復帰を果たしました。暖かく迎えてくださった職場のみなさんには感謝しかありません。

話は変わりますが、この頃から父に目眩の症状が現れて、フラフラしている姿が辛そうでした。大きな病院で診てもらっても原因が分からず、大学病院にて精密検査を受けました。
その診断結果は「多系統萎縮症」という聞きなれない病名。調べると、小脳の血流が弱くなり、歩行や食事、そして呼吸も困難になるという難病でした。デビュー間もない頃の沢尻エリカが主演していたドラマ「1リットルの涙」でエリカが罹ってしまった病気、といえば伝わるでしょうか。

難病一家だねえ、などと笑ってたのも束の間、2012年3月、今度は母が、末期の腎臓癌であることが判明しました。ワタシの看病で随分と苦労をかけてしまったことも原因の一つかなと思っています。母は在宅での治療を希望していたのですが、歩行困難になっていた父と末期癌の母の両方を介護することは難しく、比較的に元気だった父に、介護施設に入所してもらいました。
母は、診断からわずか5ヶ月後の2012年8月、亡くなりました。

母の死後、父は郷里である長野県に帰りたいと強く希望し、離れて暮らす兄とも話し合って浅間山がよく見える介護施設に移りました。ワタシは週末に父がいる介護施設へ顔を見に行きつつ、平日は普通に会社へ行くという生活を送っていました。週末の浅間山ドライブはワタシにとっても良いリフレッシュだったのでしょうか。潰瘍性大腸炎の症状は全くでず、寛解をしっかりと維持していました。

2013年5月
学生時代の友人と伊勢神宮へ参拝してきました。気の置けぬ友人たちとの1泊旅行は大盛り上がりでした。そこで調子に乗って食べたのが

松阪牛🐃のすき焼き。美味しかった、美味しかったのですが、帰宅後のワタシを襲ったのがみぞおちの激痛でした。大学病院に駆け込んだワタシに下された診断は「急性膵炎」でした。松阪牛🐃の呪い…2週間の絶食で復帰はしましたが、これから膵炎と付き合っていくことになります。

2013年8月、父が呼吸困難になり、病院に搬送されました。もうできる治療はなく、人工呼吸器と点滴のみで、安らかに死を待つ他ないとの無常な告知でした。

2013年12月、父逝去。8月の時点で年を越すのは難しいと言われていました。友達付き合いの多い父でしたので、亡くなるまでに多くの方が顔を見にきて下さいました。亡くなったのは珍しく12月に東京でも雪が降った日でした。年末で世間がバタバタする中、なんとか葬儀を終えました。1年半のあいだに両親を見送り、膵炎で入院したりの時期でしたが、潰瘍性大腸炎は寛解を維持していました。