こんばんは!

 

いやー、日中は暑かったなー。

今いるところは夜に雷・雨凄いですよ。

 

本日は私の今までの約20年の人生について書きたいと思います。

誰も興味ないとか関係なく、書く権利はあるので書きたいと思います。

 

私は某音楽機器メーカー勤務の父とと普通のOLだった母との間に生まれました。

正直、お金に困ったことありません。

私の叔父は某家電メーカー創業を共に企てた人物でした。

家は関西で知らない人がいない電柱が地中にある所に住んでました(今は違うところに)

毎日おうちには、お手伝いさんがたくさん。

知らないおばさんがたくさんいました。

幼少期はそれが普通でした。

お金って無くなる理由がわからないのが正直でした。

しかし私のそんな姿を見た父が「お前勘違いしてないか?」というのです。

それは中学生の時でした。その日を境に、私の家からはお手伝いさんが1人もいなくなったのです。

今後家事等(風呂掃除・食器洗いなど)は、兄と私が行うことになりました。

そこで分かったのです「自分の調子乗り具合」に。

父も母も私たち兄弟は、お金のありがたみがわかっていないと思っていたみたいです。

まさにその通り。秘書の方に言えば「お坊ちゃまが言うなら・・・」となんでも言うこと聞いてくれる。

中学校までね!!

そして高校大学と親元を離れて県外へ。

超汚い家でも寮生活。母は別れ際涙をながしたとかどうとか・・・

そんな父は、その日ばかりは、秘書なしの自ら運転でスーツでびしっと決めて、険しい表情。

「もう妥協は許されん。勝負してこい」この一言で会話は終わり。

そこで気づきました。

「本気でやらないと終わる」と。

しかし私はあほなので、まだなんやかんや助けてくれると思ってました。

そのまま月日は流れ、大学入学前に父が急に

父「奨学金借りる手続きしろよ」

私「え、まじで?」

父「誰のために行くんだ?」

私「いや、そうだけど・・・」

私「いいや、書類系は秘書に手伝ってもらお」

秘書「私の業務にその様なものはございません。」

初めて、父の秘書にがっつり断られました。

まじでその時悲しくなりました。

どうやら兄も同じことを父から言われ、奨学金を借りたようです。

そして4年後無事に卒業。

4年間の間にアルバイトもしました。もちろん部活も死ぬほどしました。

居酒屋というのにもたくさん行きました(初めは怖かったですが笑)

そして就職は父の音楽系の仕事ではない職種へ。

 

話にまとまりがなくすいません。

 

最近やっと父とはいろいろな経営について話しています。

正直言います。

父が偉大過ぎたことをわかっていませんでした。

あれだけ突き放してくれて、分かったことばかりです。

私が逐一言っている、この世界は完璧な資本主義というのも父からの教えです。

皆さんが思っているより、お金持ちは楽ではありません。

けど、貧乏よりかは相当楽です。

資本の有無のみです。

その差はちょっとだけ。

けどその差って、天と地。

あなたが居酒屋で上司や同僚の悪口を言っているうちに、勉強している人間がいることを忘れてはいけません。

あなたが月収の話を友人としている間に平気で1000万稼ぐ人間がいることを忘れてはいけません。

あなたが正規雇用にこだわっている間に独立して資本を築いている人間がいることを忘れてはいけません。

そしてあなたが常に主役ということを忘れてはいけません。

 

とにかく走るんだ。

何者かの外的要因なんか放っておけ。

あなたの人生はあなたにしか決める権利はない。

 

やってやろうぜ、若者たち!!