民は厳寒には暖かい場所を望み、暑熱には清冷を求めて走る。

民には、決まった居場所はなく、利益のあるところに集まり、無ければ離れ去る。

民の動向をよくよく考えなければならない。

今の世(当時も今もさして変わらないようだ。)は厳寒であり、暑熱である。

それでも、民が行くところがないのは、どこに行っても状況が同じだからである。

上に立とうとする者は、民衆への施策を他と異なったものを持たねばならない。

施策が同じでは暴乱な政治が倍しても、民はどこにも行こうとしないであろう。

それは、王者の政治(聖人の政治)が不在だからである。

暴君にとっては都合が良いが、それでは民が絶望するのである。

今の世界で仁義をわきまえた者が位についたならば、仁義の実践に努めねばならない。また、賢君が立ったならば暴乱を止める施策を行わねばならない。