天安門事件の犠牲者を追悼するろうそく集会、 香港の自由を掲げ1万人ほどの人々参加 | ボルタのブログ

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本文は、6月5日の産経新聞の要約及びそれに関するコメントです

要旨

香港では例年、ビクトリア公園で天安門事件[1]の犠牲者を追悼する「ろうそく集会」が開催され、事件から30周年の節目を迎えた昨年は過去最多の約18万人が参加している。

今年は香港当局が「新型コロナウイルスの感染防止のため集会が禁止されている」とし、開催を始めて許可しなかった。

しかしビクトリア公園には一万人程の人々が集まったという。集会には、言論や集会の自由を制限する国家安全法の香港導入に危機感を抱いて駆けつけたという人々が多かった。また、集会では中国共産党の一党独裁の終結を求めるプラカードや香港独立の旗などが掲げられた。

 

コメント

・今回の全人代で世界中が注視していたのが香港への国家安全法の適用だ。これが導入されることによって、国家分裂や政府転覆、組織的なテロ行為、外国や国外勢力による香港への干渉が禁止されることになった。これによってメディアはもう自由に香港デモを報道すらできなくなった。

・中国共産党は天安門事件を歴史書から葬り去っている。事件に関連したキーワードを中国本土では検索することもできない。香港に国家安全法が適用されれば、中国本土と同じように天安門事件について語ることすらできなくなってしまう。

中国は、香港への国家安全法を適用する法案を可決した。それに対し、トランプ大統領は、香港人権法に基づき香港の金融及び貿易での優遇措置を廃止することを29日発表している。

 


[1] 天安門事件:天安門事件が発生したきっかけとなった抗議活動は1989年4月、学生たちが政治的・経済的自由を求めて、広場を占拠したことから始まった。そして、数万の学生と市民が北京の中心地にある天安門広場に集まった。抗議者たちは多くの不満を抱えていた。言論の自由の拡大、収入アップ、インフレの抑制などを求めていた。4月22日、胡氏の追悼大会が開催された後、学生たちは政府に要求を出したが、政府はこれを拒否した。そこでは、多くの若者が公然と政府を批判した。軍は、6月4日午前1時に広場に入り、午前6時までに群衆を排除することが命じられるとともに、自衛のための行動と、障害を取り除くためのいかなる手段の使用が認められていた。6月3日午後10時、天安門広場の西、約3マイル(約5km)で市民に対する最初の発砲が報じられたとABCが伝えた。軍は6月4日午前1時30分に広場に到着した。装甲兵員輸送車が学生たちの列を突入し、広場に入ろうとして学生たちに発砲し中国共産党支配下で最も暴力的な夜となった。学生たちを排除した後、軍はみせしめのように北京の幹線道路を走り回った。中国の指導者・鄧小平氏は6月9日、初めて現地を訪れ、軍の働きを称賛し、学生たちのことを共産主義を倒そうとする反逆者と位置づけた。