ここ一週間くらい、

眠っている間にみる「夢」の内容を把握してみようと

努めてみた。


よく、枕元にメモとペンを用意して

起きたらすぐに忘れないうちに書き留めておくといい、

というような記述を目にすることがあるが

実際、夜中の3時とか4時に

灯りをつけてそんな作業をやってたら

その後寝つけるのだろうか、と心配になる。

たぶんそのまま、しばらく眠れなくなって

明け方にうとうとし

目が覚める頃にはすっかり会社に遅刻し・・・

という筋書き通りになりそうで

それが怖くて、メモは一切取ってない。


でも何日間か見た夢を意識的に思い出す、という作業を続けてみると

それはそれで、ぼんやりと気づくことがある。

夢の中で起こる出来事自体は

起きている現実の世の中の基準からすると

とてつもなく非論理的だったりするわけで

登場人物も小学校時代の友人と会社の同僚とが

一緒になって出てきたりするのだけれど

そこで私に生じている「感情」は

目覚めている時の現実世界で起こるものと

基本的には全く同一なのだ。


ただ、以前は

この現実世界で感じていることが

眠っている間に夢という(ヘンな?)形として

再現されるんだと漠然と思っていたけれど

ひょっとしたら

現実世界と夢の世界とは

単純に平行な、パラレルな存在かもしれないという気が

とってもしてきた。


どちらかが主体なのではなく

魂の映し出す鏡が

それぞれ現実世界だったり

夢の世界だったり

同一のものを違う角度で映し出している。

そんな感じ。


ふ~ん、そうかもしれないなーと思う傍らで

最近ちょっとおどろおどろしい夢ばかり見ているのも気になり

昨晩は、できれば心温まる夢をみたいなと思った。

なので眠る前に、意識的に

自分の心の奥に向かって

暖かいイメージ、やすらぎのイメージ、私はよくやっているよというような

肯定的なイメージで満たすような時間を

少し持ってみた。


そしたら、昨夜の夢は

最近になくさわやかなというか

思い出すのも楽しい夢となった。


と、それはそれでよいのだけれど

もし、ひとつの魂の状態を

ふたつのパラレルな世界が映し出しているのだとしたら

魂への働きかけが

現実世界に映し出される、ということも

事実となる。


うまく言えないけれど

それはきっと、本当にそうなのだろうという気がしてならない。

ただ、少しそこに

時間差は存在するのだろう。


引き続き、夢の観察を続けてみよう。

併せて、現実の観察と

魂に向かって、私の望む日々もたらすであろう感覚とイメージを

コツコツと流し込んでみよう。


継続はチカラなり。

昔から最も苦手な事柄だ。

でも、、、、頑張ってみよう♪





有名な方なのだろうけれど、長い間全く存じ上げなかった。

クルマに興味が薄れてずいぶん経っている、ということも理由かもしれない。


クルマがあることで

生活がずいぶん便利になったことは確かだし

実際今、急になくなったらかなり困ると思う。


けれどその一方で


年間で毎年何万人ものひとが交通事故で亡くなっているという事実、

CO2の問題だってあるし

住んでいる街の地面のほとんどがアスファルトで覆われている様子を

目の当たりにするたび

クルマなんて、と思うようになった。

必要悪とまでは言わないけれど。

そんなに威張るのは間違ってるんじゃないのトヨタ自動車、と。

そんなふうに思えてくると

当然、クルマにも積極的な興味がなくなり

クルマのデザインが、とか

そんなことに気もかけたことがなかった。


和田さんを知ったのは、2ヶ月ほど前。

日経ビジネスオンラインでお始めになったコラムをたまたま読み、

以来毎回拝読させていただいている。


初回の冒頭で、和田さんはこんなことをおっしゃっていた。


「これからの社会、そして日本には

決して明るい見通しを持てないかもしれません。

しかし、この世界には決して暗闇や影などはありません。

光がないだけなのです。

私はこれからのクリエイティブ活動を通じて1つの『光』を創造していきたい。」


この言葉に私は、すっかり引き寄せられてしまった。


20世紀的産業の代表格ともいうべき

自動車業界において

美しいということ、そこに心があるのかということを

毎回和田さんは情熱を込めて語られており

そのご様子が私には非常に新鮮に感じられ、

そして感動する。


若い頃から、たえず自身の仕事の本質を

自分に対して問い続けてきた方なのだろう。

きっと、クルマという機械の併せ持つ

良い面、悪い面も十分ご承知の上で

そして、ご自身のビジョンを貫くことが

現実社会の中でいかに困難かをご承知の上で

それでもなおかつ、自分は信じていこうという覚悟のようなものを

お持ちなのだろう。


最新のコラムでは

「草食系と呼ばれる若者にポテンシャルを感じている」

とおっしゃっていた。

私もそう思う。

これからは、ビジネスという場面においても

「強いこと」「勝つこと」は、

めざすべきことではない気がする。


自分の日々の生活の中で

「善き想い」のみで暮らすことが

かなり難しいのと同じように

クルマ業界のようなところで

「美しいということ」「ハートがあるということ」に

こだわって仕事を続けるということは

決して容易ではないだろう。


それでも、和田さんや

そのほかにも世の中には

そういう想いを大切にしている方がたくさんいらっしゃると思うと

嬉しくなってくるし

自分もささやかながら

「美しいということ」「ハートがあるということ」

を絶えず問いながら、生きていきたいなと思う。





































言葉は、現実の様子を切り取ったり

それを人に伝えるという手段という面において有効だけれど

そうでない事柄、

たとえば最近でいうところの「スピリチュアル」な領域においては

あんまり役に立たないんじゃないかという気がする。


役にたたないというか

日頃、私達は「コミュニケーション」のほとんどを

言葉に頼っているがゆえに

言葉で理解しようとして、かえってその対象の本質から

遠ざかってしまうんじゃないかということだ。


10歳の頃
何かの宿題で感想文を書こうとしたとき

「言葉にする」と本当に感じたものが表現できない

と思ったことを憶えている。


RCサクセションの、なんとかという曲の中に

「だけど、言葉でなにが~~~言える?」

というフレーズがあったけれど

よくわからないけれどホントにそうだと思った。


そして、言葉の範囲と、理性の範囲とは

きっとかなり一致しているんじゃないかと思う。

両方とも生活していく上で大切なスキルだけれど

そこに重きを置くのはちょっと違うんじゃないかなと思う。


魂にとって大切なことがらは

エネルギーのイメージで理解されるのかもしれない。

言葉はイメージを伝えようとするけれど

イコール100%にはなりえず

ひとは体験を通じてのみ、いろんなことを理解していく。

そんな気がする。