刺繍にくわえ、最近トライしてみたのがジグソーパズル。

自分史上最多の500ピースです。6時間くらい掛かった。

台湾の九分(正しい表記は、分にニンベンつきます)が完成。

右側手前の阿妹茶酒館でお茶したことあるので、なんだか嬉しくてこの写真にしちゃった。

他にも観光地シリーズがあったから、行ったことある場所のパズルでもしてみようかな。

場所も取るし、何回も遊びたいので、糊付けはせずスクラップアンドビルド。


暑い暑い、八月の日だった。

汗をダラダラかきながら熱いお茶を飲み、開け放した窓から夕焼けを見ていた。

とにかく暑かったな、台湾。人生で最も焦げそうになった場所、台湾の中正記念堂が首位争い(その他の1位候補はチェコのクトナーホラ)!!

ちょっと昔、のつもりが、思えば12年も前の話です。時間はぐいぐい加速する。


最近、刺繍を少しだけしてから床に就いている。

言っておくが、へったくそ!である。へたくそどころではない。へったくそ!!


昔から実技教科には足を引っぱられてきた。

手先は不器用、運動オンチ、あっ音楽だけはできたな……なんにせよ、勉強の方がずっとマシだった。


その私が、なぜか気が向いて刺繍を始めてしまった。

相変わらずガタガタでまっすぐにすら縫えないし、チェーンステッチは大きさも揃わない。

それを健気?にチクチク夜なべしてやっているのである。

何がいいって、なんの役にも立たないところだ。いくらやっても、年収はアップしないし資格も取れない(実利に繋がる方もいるのかもしれないが余程の腕前だろう)。

おまけに、この才能のなさ。この先たとえ上達しても、平均の出来にすら到達しないことは容易に想像できる。


生きるためには、自分に向いていることや儲かること、得になることを行う必要が出てくる。

それらに背を向けて、布の表から裏へ、裏から表へ、つたなく針を旅させる無意味な行為が、私を癒してくれるのだ。


写真は、刺繍グッズを仕入れに行ったユザワヤ。羊の時計が大変よろしい。



先日、祖父母のお墓参りへ。バラが綺麗な場所に眠っているから、いつも満開の時期を狙って訪ねているのだ。

夫が運んでくれたバケツから水を注いで、墓石の表面を洗い流し、自宅から持参した古い歯ブラシで、祖父母の名前と生まれた日、去った日の刻みも丁寧に磨き泥を落とす。

子どもの頃(というか二十代になってもそうだった)は、彼らがいなくなったら世界が壊れてしまう……と思っていたけれど、祖父がこの世を去っても平然と朝日が昇ることに愕然とした。

祖母がこの世を去って、あの家で私を迎えてくれる人はいなくなった。

住人を失った部屋に入ったとき、とうとうこの日が来てしまったと思った。いつかはこの時を迎えねばならないと分かっていたけれど、どうしようもなく涙が流れた。

もう誰も「やあ、いらっしゃい」と笑ってくれない。「violaちゃん」と嬉しそうな声で呼んでくれない。

それでも私は生きている。内側にたくさんの悲しみや行き場のない気持ちを抱えていても、簡単に呼吸は止まらない。

 

なぜ急に思い出したのかと思ったけれど、ちょうど祖母を見送った時期だからだ。

四年前の六月。「祖母はもういつ逝ってもおかしくない」と聞いた日、当時は恋人だった夫を呼び出して焼肉をおなかいっぱい食べた。

誰かを見送るのは戦いだ。少しでも多くその人と過ごすための力。いつ呼び出されても駆けつけるための力。そして訪れる悲しみをどうにか受け止め、弔うための力。

カロリーは力だから、めいっぱいため込んで全部を祖母のために使おうと思った。その時は、ほどなく訪れてしまったけれど。

 

祖父母の眠る霊園に、私の骨がいつか入るはずの場所もある。必ずそちらも異状ないかチェックして帰る。

幸いなことに、今のところそこには誰も入っていない。おかしな話だけれど、私にとってその場所は癒しなのだ。

これからどのように生きていくか、それは分からないけれど、最後はここ。それだけは確実だからだ。

誰かを喪ってもそう簡単に歩みを止めてくれない身体に、思い出が詰まった心を閉じ込めて、今日も私は生きている。

 

 

少し前、お散歩中に見つけたバラ。

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昨晩の投稿、見ず知らずの人から「いいね!」がついていて驚いた。

いかにもアクセス数を増やしたくて、こちらには微塵も興味ない感じのアカウントだった…笑

離れている間にamebloの風土も変わったのね。

十年経つもの、そりゃ当たり前か。

というわけで、当たり障りがそこそこある昨晩の投稿は、限定公開にしました。

知っている方はホイホイ承認するので、お気軽にアメンバー申請くださいね。